造り手紹介 ムレチニック

ヴィナイオッティマーナ緑2014 来日生産者!!でも紹介させてもらったように、身長的にも(2m!)、ワインのテンション的にもスロヴェニア最高峰と言って過言ではないムレチニックからは、高身長のためか腰と膝が万全でない父ヴァルテルに代わり、息子のクレメンが来日です。今や、畑でもセラーの仕事でも先頭に立ってやっているのは、このクレメンだそうです。シャイな若者なので、皆さん積極的に声を掛けてあげてください!!!

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家族写真、左から息子クレメン、母イネス、父ヴァルテル、娘レア(ミスコン優勝者!)
写真からだけでも、優しい人柄が伝わってきませんか?そりゃもう、ほんわかとした家族なんです。

イタリアとの国境から数キロしか離れていないブコヴィカという町にワイナリーはあります。
この土地で1820年ごろから農業をおこない、主要産物としてワインも生産してきたのですが、1945年から1990年まで社会主義国家だったという事もあり、もともと彼らの地所だったところも国に摂取されていました。土地を徐々に買い戻す形でワイナリーとしての活動がスタート、86年にヴァルテルへと完全に代替わりし、89年に初めてのボトリングを行います(それまでは量り売り&桶売り)。
当初から除草剤や殺虫剤といった薬剤や化学肥料を使用しない、自然環境に最大限の敬意を払った農業を志向していたのですが、その考えをどのように醸造という過程に反映させるかについて思いを巡らせていた時、偶然読んだ記事にヨスコ グラヴナーの事が書かれていて、これは!という事で訪ねたところ、ヨスコの周りに集っていた、ラディコン、ラ カステッラーダのベンサ兄弟、エディ カンテ、アンジョリーノ(ラ ビアンカーラ)、カステッロ ディ リスピダのアレッサンドロ ズグラヴァッティら、思いを同じくする仲間たちと知り合います。この時1993年。

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勢揃いの写真、アンジョリーノがマリオブラザースのルイージみたいだと思うのは僕だけでしょうか?

以降、腐れ縁の関係のところもあれば、縁遠くなってしまったところもありますが、それぞれに歩みを止めることなく、土地、ブドウ品種、年の個性を余すことなく表現したワインを模索しつつ現在に至っています。
ヴァルテル自身も、この20年の間にいろいろな事に挑戦し、変革を行ってきました。思いつくところを箇条書きしていきます。

畑編:
2004年から、有機農業もガイドラインでも唯一使用が認められている農薬であるボルドー液さえも、使用量を減らすために、酵母エキスようなものの使用を始める。防除のためというよりも、免疫力を高めることが目的のこの薬剤に突然切り替えたためか、特にシャルドネに病気が蔓延、8割くらいのブドウを失う。
より凝縮感のあるブドウを得ようと、完熟からさらに引っ張ったブドウを収穫するようにしていました。そのピークが1999年あたりだったのだと思います。ワインとしては、もちろん質の高いものはできるのですが、フィネス&エレガンスに欠けると思うようになり、今現在では完熟した段階で収穫するようにしています。(ヴォドピーヴェッツと同意見と言えるかと)

セラー編:
1989-1995年くらいまで、従来採用されてきた白ワイン的醸造法を採用(培養酵母の使用、ワインの濾過など)。1996年ごろから、白ブドウにも赤ワイン同様の皮ごとの醸し醗酵を取り入れ始め、酵母の使用もやめ、無濾過でのボトリングを。この醸し醗酵の期間も、99年をピーク(アルコール醗酵の全過程、約2週間ほど)に、徐々に減らすようになり、現在では長くても4-5日程度。

ブドウ栽培もワイン造りも、1年に1回しかできませんし、当たり前ですがやり直しのきかない、本番一発勝負 です。年どしで天候はまちまちですし、常にこちらの都合通りに運ぶわけではないという不確定要素も相まって、毎年新しいことに挑戦するのは、非常に勇気のいる事なのではないでしょうか。

90年代前半にグラヴナーのもとに集った造り手達全員、今でこそ“世の中の流行り廃りなど眼中にない わ!!”といった感じですが、当初に彼らが採用していた醸造法といったら、その当時、世の中的に高品質の白ワインを造る上で最良と考えられていた手法(培養酵母、温度管理しながらの醸造、ステンレスタンク、濾過から始まり、樽醗酵樽熟成、新樽率100%へと移行し…)だったんです。言い換えるなら、あのと んがりまくった造り手達でさえ、ほんの20年ほど前までは、流行を追ったごく一般的な造りをしていたんです!!
流行りを追うようなことをやめた のも非常に早かったですし、その後どの造り手も2000年代前半には、つまり10年と経たずに独自のスタイルを確立するに至ってます。(グラヴナーとヴォ ドピーヴェッツはアンフォラでの醸造、長期間の醸し、ラディコンは長期間の醸し&酸化防止剤完全無添加、ラ カステッラーダとムレチニックは、我を貫きながらも世間との折り合いがついているワインを…)

ある意味時流に逆らった事をやろうとして いたわけですから、当然たくさん思い悩み、時には友に相談し、議論し、考えに考え抜き、その瞬間の良心と信念に従って最良と信じた方向に向かい、試し、検証し、次ヴィンテージは微調整したり、さらにドラスティックに変えたりと、考える事、挑戦する事、信じる事を諦めなかったからこそ、短期間に今彼らが立つところにまで登ってこれたのだと思います。
「白の醸し醗酵をまるで特別な事のように書いているけど、かつて農民がワインを造っていた頃は白と 赤で造りに大きな差がなかったって、つまり白にも醸し醗酵をしてたって、オータ自身が言ってたじゃないか!畑でもセラーでも、先人の知恵に根差した伝統的な事をしているんだったら、出来上がるワインも古き良きワインって言えるんじゃないの?」などと言う方もいらっしゃるかもしれません。でも、それはちょっと違います。

伝統とは、過去のとある時代に形成された、不変のものなのではなく、時代背景などに合わせて、動物の進化と同様に少しずつ形 を変えるものだと僕は考えています。ワインの歴史は8000年くらいあると言われていますが、その大半(時間、空間どちらの意味においても)は、食品としての歴史であり、嗜好品としてのワインは、たかだか200年ほどの歴史(ボルドー、ブルゴーニュ、グランクリュ、格付け、イギリスという商売相手…)しか ないわけです。それ以前も、一部の生産地域のワインが、ごく一部の特権階級の人達に嗜好品として楽しまれていたという事もあったと思いますが…。

一瞬話は飛びますが、皆さんはどういったきっかけでヒトはワインを造ることになったと思いますか?全く根拠はありませんし、物の本を読んでの話ではありませんが、我が説には非常に自信があります(笑)。
日本のように、井戸が比較的簡単に掘れ、安全でおいしい水が確保できる僕たちには、理解が難しいかもしれませんが、ヨーロッパないしユーラシア大陸の水は、ド硬水であることが多いと思います。それは河の水の色(エメラルドグリーン!)を見れば、明らかですよね。硬水すぎて身体に負荷のかかるということを、昔の人は身体で感じていたのだと思うのです(でも生きていくためには水分は摂取せねばならず…)。同時に、果実から得られる水分は柔らかく安全であることも 知っていたのでしょう。あらゆる果実の中でも、水分も豊かで、人力でも容易に潰すことができたブドウ(山葡萄)のジュースを取って置こうとした人がいて、 それを実践し、数日したら液体が泡吹き始め(笑)、泡を吹かなくなった液体を恐る恐る舐めてみたら、腐ってはおらず、でも全く甘味は無かった…じゃあとい う事で飲んでみたら、なんだか気持の良くなる液体でもあった…これがワイン誕生秘話なのかと。

酸もあるため腐敗しづらく、カロリーも様々な栄養価も含まれる水分(+アルコール)…これが、食品としてのワインに、ヒトが執着するきっかけとなり、安定した収量を得るために山葡萄の採取からブドウ栽培へとシフトする端緒となったのではないでしょうか。
だからこそ、ローマ人は進撃した先々でブドウを植えたわけで、決して大の酒好きだったわけではないのです(笑)。ただの嗜好品であったのなら、命を賭してまでしてチンクエテッレやヴァルテッリーナのえげつない斜面を開墾したりはしないと思うのです。

今現在、クオリティワインは、食品的なもの(ヴィナイオータのワインでいうと、イル ヴェイとか)、食品なんだけど、芸術性さえある気がしてくる、食品と嗜好品の融合体と、完全嗜好品的なもの(あえて名指しはしないので皆さん自身で想像してみてください)、の3つに大別できると思うのですが、ヴィナイオータの多くの造り手が目指しているものは、まさしく2番目なのではないでしょうか。
とはいえ、純食品的ワインと芸術の風が漂うワインの間に品質的に優劣の差があるわけではないのです。それは、家庭料理とレストランの料理を比べるようなものなのかと。
僕たちが家庭料理に求めるものが、安心感、気楽さや、栄養分物質的なものだけでなく精神的なエネルギーの充填が主眼だとするなら、究極のレストラン料理は、刺激、モチベーション、パッションを呼び起こすものであるべきなのかと。

何が言いたいのか相変わらず不明ですが(汗)、単なる技術に裏打ちされた品質なのではなく、想いの強さやその瞬間湧きあがったインスピレーションのユニークさや、それらをワインという液体に十分に溶かし込ませるのに必要な技術…それらが反映した特質こそが、僕たちに刺激をもたらすのではないでしょうか。

最近流行り(笑)のジョージアのワインを、醸造学に則った品質的な観点から見ることに僕自身違和感を感じていたのは、そういう事だったんだなぁとこの文章を書いててようやく腑に落ちました。
昔は、労働と言えば基本肉体労働だったのに対して、今はエアコンの効いた部屋でPCをいじっているだけでも立派な労働(笑)。肉体を酷使していた時代に は、カロリー、水分、塩分をある程度摂る必要がありましたが、今現在は昔ほど必要ないから、結果料理もより軽い方向へと向かう…。
水代わりとして飲まれていた時代のワインには、尊大さも、高いアルコール度数も、過剰な凝縮感も必要なかったでしょうが、飲まれる量が圧倒的に少なくなった現代のワインが、よりテンションの高いものを志向すること は自然な事ですよね?
僕がジョージアのワインを飲んで衝撃を受けたのは、まるで遠い過去からタイムマシンに乗って現れたかのような佇まいをワインの中に見出したからなのかと…。ワインの本来の立ち位置を思い出させたくれたという点だけでも、素晴らしいと思いますし、よくよく考えてみたら、前述のグラヴナーの周りに集った造り手達に加えてヴォドピーヴェッツ、フランク コーネリッセンにも多大なる影響を与えたワインも、ジョージアの古いワインだったこと、そこからそれぞれの造り手が各々の考えをもとに、よりエッセンシャルなものを探し求める旅に出、未だにその旅路の途中なわけです。

突如注目されることとなった、農家製ジョージアワイン(そしてその向こう側にあるワイン文化)に、先進国が好影響ばかりを与えるとはとても思えないのですが、時代と共に形を変えるのも伝統文化の常ですし…。
なんにせよ、ジョージアのワインに影響を受けて今日に至るうちの先生方のワインが、ジョージアの造り手達にも影響を与えるようなことになれば素晴らしいなぁと思うのでした…。

ヴォドピーヴェッツのワインなどは、その最先鋒なのでは?と思う僕は身贔屓過ぎるでしょうか??

あれ、ムレチニックの紹介文のはずが、ジョージアに飛んで、ヴォドピーヴェッツに着地している…ま、いつもの事か…笑。

ワインの歴史を俯瞰した時、今は本当に面白い時代で、僕自身端っこの方であったとしても、そこに身を置けている自体事が嬉しくて楽しくて…。沢山の大きなうねりが生まれ、それらが交わって形を変え、そしてまた他のうねりが生まれ…伝統文化は参加型行事です!!皆さんも是非!!!

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