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2019-08-08

“料理の起源”について

前回、“美の起源”についてお話したのに続いて、今回は“料理の起源”についてのお話です。

最近、食に携わる人に会うたびにマイケル ポーランの“人間は料理する”という本を激烈おススメしています。この本のおかげで、長年にわたりオータの頭の中でくすぶっていた考えがほぼ完全に言語化できるところにまで至ったという意味でも、オータの読書史上燦然と輝く名著と言って良いかと。
序論の中で「料理を始めたことで人類は、大量の食料を集めて延々と咀嚼し続ける生活から解放され、時間とエネルギーをほかの目的に使えるようになり、その結果、文化が生まれたのである」という一節があります。
確かに、分解されづらい炭水化物であるセルロースを主成分とした草を主食とする牛は、胃が4つもある上に反芻までも行い、咀嚼と栄養吸収のために人生ならぬ牛生の大半の時間とエネルギーを費やすため、脳にまで多くのエネルギーを供給することができず、その結果として体の大きさの割に脳が小さい…。に対して、糖質を多く含む穀物やイモ類を加熱(ご飯)、醗酵&加熱(パン)等の調理を施すことで更に消化吸収しやすくした食べ物を主食に据えたヒトは、短時間で莫大なカロリーを摂取することができるようになったことで、脳が大きくなり、胃腸が短くなった。そして、その余剰時間、余剰エネルギーを“生き延びる”以外のこと‐文明文化‐を進化発展させるために使うように…。
素晴らしい料理には、我々のお腹だけではなくて心も満たしてくれる力があると思うのですが、その料理が、音楽、絵画などのありとあらゆる芸術やスポーツ、科学、哲学、建築など、我々の人生を豊かにしてくれるモノやコトを生みだす原動力にもなっている…料理って結構凄くないですか?
なにはともあれ、料理の起源は、食物を安全に、そしてそこに含まれる栄養素を効率的&効果的に摂取することを実現することを端緒としている、ということは間違いないのかと。
料理は、理(ことわり)を料る(はかる)と書きますが、意味としては「物事の筋をたてる、おさめる、ととのえる」だそうで、食べ物を調理するという意味での料理における筋とは、安全性と機能性(高い栄養価と消化吸収の良さ)であるはずで、仮に見目麗しかったとしても本来通すべき筋に全く念頭が置かれていない料理は、“ちゃんと料理された”ことにはならないとオータは思ってみたり…。
次は何の起源の話を書こうか考えあぐねていますが、この起源話は当分続くことになると思います…。
文:太田久人
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