Dec 8, 2014

オッティマーナ2014緑、閉会の辞

 おかげさまで、19人の造り手との楽しくもハードなツアー、ヴィナイオッティマーナ緑2014 at 仙台&名古屋&湘南、そしてフェスティヴァン2014、そしてそして僕の誕生会も兼ねた、つくばでの裏オッティマーナが無事終了し、12/2に造り手達は帰国の途に就きました。
 3会場合わせて、800人以上の方にご来場いただきました。お越しいただきました方、本当にありがとうございます。そして会の実現を助けて下さった、全ての方たち(レストランさん、お酒屋さん、各地ボランティアスタッフ、通訳さん、ツアー帯同スタッフ、そして弊社スタッフ&後方でフォローしてくれたスタッフの家族にも!)、本当にありがとうございました!!!!!
 
 前回は初めてという事もあり、全ての事柄が暗中模索状態で、不安やプレッシャーに押しつぶされそうだったのですが、今回は全行程に通訳を兼ねたツアコン的帯同スタッフがいてくれたおかげで肉体的負担が格段に軽減し、そしてイベント開催自体が2回目であるという事や、3年前の時よりも僕自身が様々な事に手応えを感じられていることなどが精神的余裕を与えてくれ、個人的にも会の空気、時間、皆さんとの会話を心から楽しむ事ができました。
 造り手、スタッフ、飲み手…みんなで生み出すある種の渦が前回よりも確実に大きく、そして勢いと熱量を増しているのを、僕だけでなく、前回も来日した造り手も感じていたようです。皆、口を揃えて言うのですが、日本ほどの歓迎歓待ぶりを他の場所で経験したことないし、自分たちへ向けられる敬意、愛情は感動的ですらあるとのことです!!(造り手達には、今回の旅の感想文(笑)を提出するようにと言ってありますので、届き次第、皆さんにもご紹介させていただきますね。)
 僕自身も、何度となく、「美味しいワインを持ってきてくれてありがとうございます!!これからも頑張ってください!」と声を掛けていただきました。お客様に感謝されるだなんて、商売をやっている者として、これ以上幸せなことはないのではないでしょうか。

僕達日本人→造り手:いつも美味しいワインを、そして日本に来てくれてありがとう!
造り手→僕達:こんなに良くしてもらって、ありがとう!
飲み手→ヴィナイオータ:ワインだけでなく、造り手まで連れてきてくれてありがとう!
ヴィナイオータ→関わってくれた全てのスタッフ:手伝ってくれて、参加してくれてありがとう!
ヴィナイオータ→飲み手の皆さん:いつもいつも飲んで頂いて、そしてイベントにも参加していただいて、(イベントに)素敵な温かさをもたらしてくれてありがとう!

 相互に感謝の念を持てる関係というのは、本当に素晴らしいもので、そういった関係性は、良心が集う場所でなければ生まれないでしょうし、良心と良心が擦れ合うから熱も発生するのではないでしょうか。

 敬愛してやまないピアニスト、上原ひろみちゃんは、生きているということを最も実感できるのがライブの時で、そのライブは聴衆がいて初めて成立するもの…つまり、聴衆によって自分は生かされているんです!と、ことある毎に言っています。ワインの造り手、もしかしたら僕達インポーターにも同じようなことが言えるのではないでしょうか?どんな素晴らしいワインも、飲み手に飲んでもらい、喜んでもらって、初めて“生かされる”わけで…。 
 ひろみちゃんも“生かされている”事に対する感謝の念を強く感じているからこそ、一音一音に魂を込めようとするわけで、僕も、造り手と皆さんから頂くたっくさんの良心や(僕たちの仕事に対する)敬意&信頼&期待感を痛いほどに感じるからこそ、もっと熱を込めて伝えていきたい、もっと退路を断ちつつ前に進みたい、そして石川杜氏が言うところの関係性を呼ぶお酒(詳しくはこちらを)でもっと世の中をハッピーにしたいと決意を新たにするわけです。
 そしてできる事なら、ただ美味しいものをお届けするだけでなく、僕がひろみちゃんの音楽そのものや、彼女の音楽&先人への敬愛の念、仕事への姿勢などから気付かせてもらった、人生をより豊かでハッピーに、そして刺激的なものにするためのヒントのようなものを、ヴィナイオータとしての活動やオータの発言の中に盛り込んでいきたいと最近は考えるようになりました。

 そんなわけで、最近僕の脳内ブーム(笑)のお話を仙台&名古屋会場でのご挨拶に盛り込もうと思ったのですが、その話題へと展開させるための糸口が見つからず断念、ですが、湘南会場では、ちょこっとだけ披露する事ができました。
 テーマとでも呼ぶべきものは、“何事にも始まり(ゼロの状態)がある”…。
 僕がその世界のスペシャリストだと思われているからなのか(僕自身に、そのつもりは全くありませんが…)、しばしば「自然派ワインの事はあまり知らなくて」とか「イタリアワインは全く…」という前置きからお話を始める方にワイン会などで(オッティマーナの会場でも!)遭遇します。まるで、“知識、経験”豊かな僕が、その人からしてみたら、とても高いところにいるかのような…。100歩譲って、僕が今現在、“とある見識”くらいは持ち合わせているとしても、そんな僕にも(当たり前の事なのですが、)“全く知らなかった”時があったのです。色々な縁や運に助けられ、時代や僕の年齢を考えたら、比較的早くに僕のワイン観の核となるワインに出会っていますが、ただそれだけの話で別に自慢にもならないと思っています。始まりが早い人もいれば、遅い人もいて、登るスピードが早い人もいれば、ゆっくりの人もいる…でも、始めるのも登るのも早い人が遅い人よりも偉いわけではないですよね??

 “千里の道も一歩から”などと言いますが、千里という途方もない距離を前に、進みだす前から怯むのではなく、千里という距離も一歩一歩の積み重ねでしかない、言い換えるなら、歩み始め歩き続けること以外、踏破する方法がないという自明なことをちゃんと心に刻めているかどうかは非常に重要なのではないでしょうか。
“知らない”(かった)、“できない(かった)”という状態には何の罪もありませんが、“知りたい”、“できるようなりたい”とおぼろげに考えているのに、“知りに行かない”、“やろうとしない”のは、非常に罪なことだと思いませんか?(無限の可能性が広がる世界への)一歩目を踏み出すことを留まらせているものは、他ならぬ僕たちの先入観、既成概念なのではないでしょうか??自分が持つ先入観を認め、受け入れ、そこから自由であることを心がけ、ほんの少しのチャレンジャー精神と勇気をもって一歩一歩を進めていったら、きっと見たことのない景色が待っていると思うのです。そんな新しい景色が見たくて、歩を進めていたら、いつの間にか千里を踏破していて、その先にもまだ道があることを発見する…う~ん、人生に似ていますね(笑)。

 “知”の本当の価値というのは、知識に代表される、知っているという“状況、状態”にあるのではなく、知りに行くという“行為”の中にあるのではないでしょうか?恋愛において、“もっと知りたい!”という感情こそが尊いというのと似ていますね。

 音楽もワインも感じるべきもので、とある1枚のCDやとあるボトルの前では、過去の知識見識や経験も、その人がプロか素人かも一切関係なく、ただそのものに向き合って、感じるがままに感じればいいと思うのです。自由でいようとするためには、そこそこのエネルギーを必要としますし、責任も伴いますが、それに見合うだけの素晴らしい景色が待っていますよ。

 しょうもない例えですが、宝くじもまずは買わないと当たるチャンスはゼロなのとも似ているような…“やらない”と“とりあえずやってみる”の間には大きな川が流れているというか何と言うか…。

 僕たち各々が、自分の世界の中(仕事、趣味…何でもいいんです)での小さな自己ベスト更新を目標とした千里の旅(更新を何度も何度も繰り返しつつ)に出たのなら、同じような旅をしている人と巡り合う確率も上がるでしょうし、お互いのそれまでの過程を参考にし合え、そしてまだ道半ばよりも遥かに手前かもしれないけど旅に出ることを決意した人の事、そして千里、二千里歩き切った人のことも心の底から尊敬できるようになるのではないでしょうか??

 あ~、この文章書くのに、結局5日以上かかってしまった!!(笑)2月の造り手の来日までに、紹介文を全て書き上げられるのでしょうか??オータの千里の旅はまだまだ続く…。

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かんぱ~~~~~い!

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