Feb 3, 2015

造り手紹介 ラ ビアンカーラ その2(2015.2筆)

あと2人まで来ましたぁ!!!
ラ ビアンカーラ行きます!!

今回は、アンジョリーノと奥さんローザマリーアが来日です!!

ラ ビアンカーラのワイン、その中でもサッサイアこそがきっかけとなり、こういうワインに興味を持ったという人は、古今を問わず、日本には本当にたっくさんいるのではないでしょうか?(当然のことながら、僕もその1人!)
価格帯的にも手の届きやすい範囲に収まっていながら、いわゆる一般的な白ワインとは一線を画す、分かりやすい果実味はなく、鉱物と塩気と果実が混在した味わい&香り…。
世界観を広げてくれたというか、新しい世界への扉を開いてくれたということに対する恩義を、人はなかなか忘れないもので、2011のオッティマーナでも、アンジョリーノの周りはその気持ちにみなぎっている人達で常に埋め尽くされていて…。
3年前の記事にも書いてある通り、ラ ビアンカーラとヴィナイオータは、まさに”一緒に”成長してきたと思いますし、アンジョリーノと出会っていなかったら、今のようなラインナップになっていたかどうか…。(怖っ!)
僕にとってのアンジョリーノは、ワインの中にある個性の大半は、セラーでの作業ではなく、畑(土壌、その年の天候、畑での作業のしかた…)由来であるべきだという、当然といえば当然のことを完全に分からせてくれた、恩人ともいえる人でもあります。

「森に肥料は必要ないよね?畑においても、人が多くを求めないのなら、それが有機質ものであっても、撒く必要はないのでは??ワインの世界には、テロワールという仰々しい言葉が存在し、その要素の1つに大地(土壌)由来のの”滋味(地味)”も含まれるのなら、なおさらね。」
本当に知り合って間もなかった頃にこんなことを言われた記憶があり、この言葉が今現在の僕のワイン観の根幹をなしていると言っても過言ではないと思います。

オータ&ヴィナイオータにとって、本当に大切なワインなわけですが、以前ほどはアンジョリーノのワイン(特に白)を飲まなくなったぁと思うことしきり。
なぜなのか、考えてみました。

理由1:入荷したと同時に売れていってしまうため、ちょっと飲みたいなぁと思ったくらいでは、おいそれとは開けられない(笑)。マシエリ&サッサイアですが、1回の入荷本数が、それぞれ1800-3000本と決して少なくはないのですが、3か月持たないんです…。
毎年生産量の4-5割程度は分けてもらっているのですが、近年はブドウの収量が少ない年が続いて、需要に対して供給量が絶対的に少なくなっています。

理由2:ここ2-3年は、ラディコンやヴォドピーヴェッツなどのワインを、どうやったらもっと飲んでもらえるのかを真剣に考えていて、彼らのワインばかり開けていた。理由1の通り、おいそれと開けられないアンジョリーノのワインに対し、鬼のような在庫を誇っていたため、何のためらいもなく開けられました。

理由3:近年の、リリースしたてのアンジョリーノのワインは、香り味わいどちらの点でも酵母的なニュアンスが前面に出てきていて、ブドウの素姓やテロワール由来の味わいを捉えづらい。過剰な樽香や培養酵母が生み出したやたらフルーティーな香りに比べれば、酵母由来の香りがある方が遥かにましですし、その香りがある事自体、使われている酸化防止剤の量がミニマムか完全に入っていないという証ですので、好意的にはとらえてもいるのですが…。
樽香や培養酵母由来のむせっかえる香りが、ワインにとっては衣服や鎧、酵母由来の香りは垢みたいなものだと考えれば、想像しやすいでしょうか。
自分を美しく、ないし強く見せるために身に着けるものが樽や培養酵母なら、人(ブドウ、ワイン)が生きている限り、自然と出てしまうものが垢。あるのが自然ですが、外見上目立つほどにはないに越した事は無いですよね??
特にブドウ自体に強さがある年のものほど、垢が落ちるのに時間がかかる気がします。に対して、ブドウに力強さない年のものは、早い段階で垢も落ち、すっぴん美人のワインを楽しめます。(最近でいうと、2012年とか)
それに比べて、ラディコンやヴォドピーヴェッツなどのワインは、長い樽熟成により、垢が完全に落ち切った状態なので、リリース直後から概ね楽しむ事ができる(もちろん、モノによっては、ビンで更に寝かせるべきだとも思います!)ということを、理由2の状況下でまざまざと体感しまして、ますます彼らのワインばかり開けるようになりました。

理由4:完全に垢が落ち切ったアンジョリーノの白で、今最高に表現力があるものはと言われたら、サッサイアでしたら、05,03,02,01が真っ先に浮かびます。全然奇しくもでさえないですが、どの年も非常に難しいヴィンテージばかり…01は雹害、02と05が雨が多く、03は酷暑…アンジョリーノ的には思い出すのも嫌だと思っているヴィンテージかと(笑)。に対して、ブドウの出来が素晴らしかった04や06などはもう少々待ってあげたい感じだったりします。お察しいただけるように、これはこれでおいそれとは開けられない(笑)。

それでも気が向いた時に開けられるのは、ちゃんとある程度の本数を取って置いたからで、それが可能だったのも、サッサイアの内容を考えたら良心的すぎる価格があり、価格が価格なので本数を動かす事ができ、本数を動かす事ができたから個人的にもある程度の本数を取って置くことができたという…。

ワインをほんの数年寝かせるだけで表情が劇的に変わるということや、僕が常々言っている、「偉大な造り手に、悪いヴィンテージはない」ということを、ユーザー的には低いリスクで証明してみせてくれるサッサイアは、色々な意味で偉いワインだなぁと改めて思います。

僕にとっても、そして僕以外の多くの人にとっても、アンジョリーノのワインは原点であり、ずーっと指標であり続けるのでしょうし、それこそが僕がアンジョリーノを先生と呼ぶ所以でもあるのかと…。

2014年は、アンジョリーノとダヴィデ スピッラレの畑が、雹の甚大な被害を受けまして、白はマシエリしか仕込まなかったようです。ひどくショックを受けたアンジョリーノから、何か元気づける言葉をかけてくれ!と言われたので、こんなメールを書きました。

アンジョリーノ
一連の事、本当に残念に思うし、何と言葉をかけて良いのやら全く思いつかないよ。

とはいえ、良かれ悪しかれ、自然がうちらに与える“仕打ち”も、それ自体が自然の一部なわけで…。
自然が、そういったきつい冗談を時々かますという事をうちらは決して忘れてはいけないし、(その冗談、仕打ちを)受け入れる心構えは、常にしておかないといけないと思うんだ。

もしかしたらアンジョリーノは、
「こんな酷い被害は、(ワイナリーの歴史上)起こったためしがない」
と言うかもしれないよね。
だけど、うちらに起こる様々な事件・出来事って、過去に既に体験したことのあるレベルの事ばかりが起こるわけじゃないわけで、それ(前例のない被害を被ったという事)自体も、普通の事と言えるよね?
予想可能な事やコントロール下に置くことができる事ばかりが起こる人生なんて、面白くもなんともないと思わない?

話は一瞬逸れるけど、Crisi(英語だとCrisisクライシス)っていうと、今では危機的な状況そのものだけを指すような言葉として認識されているけど、もともとは決定、転機、機会を意味しているらしいよ。つまり、困難な状況をどう捉えるか、それをどう対処するかによって、好転させることができるってことなんだと思うんだ。様々な困難を乗り越えた先に、“成長”ってあるもんだよね。
落ち込む気持ちも分かるけど、起こってしまったことに関しては考え過ぎず、今は残ったブドウでベストを尽くすことに集中してよ!
アンジョリーノなら出来る!!!!

ヒサト

メールを書きながら、何年か前にパーネヴィーノのジャンフランコが、
「良く、“例年に比べると2-3割の減収”とか言ったりするけど、多い少ないにかかわらずブドウを、ちゃんと賜ったという事自体がすでに奇跡なんだと思うんだ。」
と言ったのを思い出しました。
不測の事態が起こる可能性があると強く自覚できていれば、僕たちが普通と思ってしまっている事そのものが特別な事、有難いことなのだと思えるようになるのではないでしょうか?
自然と強く関わり合いながら仕事をしているアンジョリーノでさえ忘れかけてしまうくらいですから、僕たちはそれをより意識していくべきなのかと…。

さすがにもう落ち込んでいないと思いますが(笑)、皆さんからも元気づける言葉をかけてあげてくださいね!

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2011年の収穫風景、生育の間にも天候にも恵まれました。素晴らしい天気の中、完璧に健全なブドウを収穫する、そりゃ笑顔も出るってもんです。

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ガルガーネガ!!!!

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弊社関西支部長…やっぱり最近太った??(笑)

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