自分史そしてヴィナイオータ史 その7
1998年 春 Vinitaly後、Trentino-AltoAdige、Toscanaをまわる。で輸入第一弾として決めてきたのが、
Trentino LaVis、Pojer&Sandri、Longariva、Vallarom
AltoAdige Vivaldi
Veneto Ca’Rugate
Toscana CasaEmma
とまあほんとにTrentinoが多かった。なので当然白の割合が高くなる。
初夏くらいだっただろうか、知り合いのつてで青山のリストランテAで試飲会をさせてもらう。イタリアからハンドキャリーで36本くらいのサンプルを持って帰ってきたんだっけ。あの頃の航空会社は寛容でした。トレンティーノの白が多いという特異性が一部の人には受けたようだ。
夏、ローマ荘をベースキャンプにシチリア、トスカーナの海沿いの地域などへ行く。
この時SiciliaではMarco De Bartoli、ToscanaではTuaRitaとの仕事を取り付けてきたんだと思う。
日本へ本格帰国すべく荷物の整理なども始める。
ローマ荘の伝統で、誰かを日本に送り出す時は盛大にドンチャンやることになっておりまして、僕の送り出し会の時もすさまじかったです。
最初は総勢9人で、うちで普通に食事をして9本のワインを開けた。2人が帰り、夜中1人(以降、T)が仕事から帰ってきた。その日、Tの職場ではUmbriaのとある造り手を招いての食事会だったということで、残ったワインを持って帰ってきた。開いてはいるがほとんど満タンの状態のボトル12本。一瞬話は飛びますが、ガンベロロッソのワイン関係の偉い人主催の賭けブランドテイスティングみたいなのに参加していたことがありまして、それに優勝してもらったトロフィーをずーっと飾ってあったのですが、”やっぱトロフィーって何か入れて飲むためのものだよな!”と僕。
言いだしっぺなので僕から始めることにして、Tが持ってきたワインからスプマンテをトロフィーに入れたいったのですがこのトロフィー、結構大きくてカップ内部がプラスチックで鏡餅を逆にしたような形をしていたのですが、その小さな餅に当たる部分まで入れたらもうボトル半分分くらいでした・・・。
炭酸きつくてイッキでは飲めずふたくちで飲み、宴は再スタート。他の連中も続き、トロフィーイッキは何順目かにさしかかると、Tが持って帰ってきたワイン全部にビールも何本か終わってしまい、さすがにみんなゲチョンゲチョンに。酔った僕はソファで女の子の肩に手をかけていて(だけだと思います、いやほんとに)、そしたら他の連中の1人が”ああっ、社長がセクハラしてる!”と。
もう1人が、”セクハラはやっぱグラッパイッキだよね”。
人を貶めようとする時の他人の動きはものすごく素早く、気が付くと僕の手にはグラッパの入ったグラス。ベロンベロンでしたが、匂いをかいだ僕は、”このグラッパ、レーヴィじゃねぇ!レーヴィならイッキしてやるう!”とか言ったもんなら今度は本当にレーヴィが出てきてしまいました。
写真 上左 スプマンテイッキを始める僕
上右 ストローでイッキするお馬鹿な二人
下右 レーヴィのグラッパ、香りだけでむせる僕
下左 飲み干し喉が焼ける僕
この後の記憶は全くございません。ほんとに黒い幕がパッと下りたような感じです。
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