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2023-05-23

ヴィナイオッティマーナ2022【造り手セミナー】コッレ フローリド

①セミナー動画 (質問コーナー|02:40~)

ヴィナイオッティマーナ2022 P5 DAY1に行われたセミナーの様子です。コッレフローリドは、南イタリアのアブルッツオ州にあります。アブルッツオは、西の2000メートル級の山から、東のアドリア海まで30kmほどという山と海が近い州ですが、海まで車で15分ぐらいの場所になります。営んでいるのは来日したアンドレアさんとお留守番中の奥様のダニエラさんです。ワインの名前にもなっている二人のかわいいお嬢さんがいます。アンドレアさんは、ナチュラルワインに大変造詣が深く引く手あまたの人気の流しのソムリエでした。以前は、トスカーナのモンタルチーノに住んでいて、サンタマリーアやソルデーラのお手伝いをしたりしていて大変仲良くされていました。ソムリエの仕事でパリにいた際に、奥様と出会い、その後、奥様の故郷に移り、「環境、動物、人間を尊重した農業」を2016年から始めます。現在は、海抜約250メートルの3.5haの畑で、アブルッツォを代表する品種、モンテプルチアーノとイタリアで幅広く栽培されている品種ですが、この土地を代表する品種ともいえるトレッビアーノを育てています。

②造り手紹介 (0:19~)

コッレ フローリドの造り手紹介、詳しくはこちらから。

③造り手への質問と回答

Q1. 流しのソムリエをなさっていたとのことですが、流しのソムリエって?(2:40)

A1. 独身で身が軽く自由だった若い頃、本気の登山をしていて、その登山をするための費用を稼ぐためにソムリエの仕事をしていました。お金がたまれば仕事をやめ山に登り、また次の山のためにソムリエをするというような。やりたいことのために稼ぎ、それを成し遂げることを繰り返す生活でした。

現在は、3.5haの畑があるのですが、これ以上畑の面積を大きくしたり、ワインの生産量を増やすとかは一切考えていません。なぜならばこのぐらいのサイズ感が、ワイン造りや家族との大切な時間など、今、自分たちがしたいと思うことが出来るちょうどいいバランスなのではないかと思うからです。それはある部分、山登りをしていた頃と同じ感覚でないかと思います。必要なものを得るために働いていたわけで、そのときと今は家族がいて守らなければならないものがあるので若かった当時とは全然違うレベルではあるのですが、生活していく上で今以上にお金を稼ぐ必要はないと思っています。今現在、素晴らしい人生を送れていると満足しているので、これから何か自分のペースを追い込むことまではしたくないと思っています。

Q2. ソムリエ時代と造り手になってからでは、ワインについて気持ちの変化はありますでしょうか?(7:20)

A2. 22年ソムリエの仕事をしていて、その間10年ぐらいは三つ星のレストランでシェフソムリエをしていたのですが、その時代と実際にワインを造り始めてからの気持ちは、180度完全に変わっています。どう変わったのかというと、ソムリエをやっていたときは目の前にあるボトルをただ単に評価することだけに終わっていました。その向こう側にとある人の人生があることなどの思い至りや思いやりに全く欠けているアプローチでした。いざワインを造り始めて、恥ずかしいぐらいにワインを知らなかったということに気づかされました。例えばお酢のようになってワインを捨てたりすることもありますし、遅霜で葡萄が枯れてしまって収量が減ってしまうということ、順調に来ていても雹が降ってやられてしまうことなど、そういったストーリーは造り手から聞いてはいたけれども、リアルに体験すること、ああそうだうまくはいかなよね、ってことを体験することで考え方が変わってしまいました。そういったストーリーは飲み手は造り手が話さない限り知る由もない話で、ボトルに詰まっているワインは、すでに困難をくぐり抜けてきたワインだけが詰まっているという当たり前の事実に、飲み手・ソムリエが気づかないということがあると思います。なのでワイナリーに若いソムリエが来た際に、伝えたいところはまさにそこで、そちら側からものを見るのではなく逆側からワインを見る努力や想像をした方がワインに関してわかることが増えると思うよということをアドバイスしています。

O3. これから新たにチャレンジしたいことはありますか?(11:45)

A3. 自分にとってワインを造るということは大きな大きな夢でした。その夢は叶ったといえると思います。妻のダニエラも建築家になるという夢を果たしました。彼女の今の夢はパンを造ることです。その夢を叶えるために去年新しく買った畑で麦を育てて、その麦で天然酵母のパンを焼く工房を造ること、また自分自身の夢としては、日本にきて木造建築の素晴らしさ、家の中にいながら自然を感じれる空間に強く影響を受けている最中ですが、今現在は手狭で人が来た時にお迎えする場所もないガレージワイナリーのような感じでやっているので、そういった建物を別で作りたいとも思っています。

Q4. 自分のワインをソムリエにどのように紹介されると嬉しいですか?(18:33)

A4. 時間がないということもありますが、自分自身はサロンに出たり、お客さんのところに行ったり、イタリアも国外もあまり出向かない造り手といえると思います。何よりも自分が大切にしていることは、自分の住んでいるワイナリーまで来てもらって、自分たちがどう生きているのか、どういう仕事をしているのか、どういう畑なのか、自分がどういう人間なのかを知ってほしいと思っています。ワインにとって一番大切なポイントは人だと思っています。テロワールでも葡萄品種でもなく人が中心にいると思っています。それがワインである限り。どんなに神から約束されている土地、畑でも、人が間違えたのなら、出来の悪いワインは造ることが出来てしまうという意味でも人が中心にいると思います。なのでソムリエの人たちには造り手自身を知ってもらう機会に重きを置いてもらえたら嬉しいです。訪問については断ったことが一切ないですし、対応できる限りすべての訪問者を受け入れるようにしています。そこで伝えられるメッセージをソムリエの人たちがそれぞれの解釈でお店で伝えてくれたのなら本望です。

Q5 もしワインを造っていなかったら、どういうことをしていたと思いますか? (21:55)

A5. もし家族がいなかったらという前提だったら、若かった頃と同じような人生を送っていたのではないかと思います。自分がやりたいと思うことのためにソムリエをして稼ぎ、稼ぎがたまればそのために使うという生活です。家族がいる上で考えるのであれば、想像するのが難しいです。妻の実家のアブルッツォ州は農業をする上でいろいろな意味で恵まれていたということもありますし、いくつか切り離せないものがあるので、どう答えていいのかわからないですが、一つだけ言えることはワインであれどうであれ大地と一緒に働く仕事、つまり農に携わる仕事は絶対に選んでいたのではないかと思います。アブルッツォ州は農の世界では豊かな場所ですが、1970年代以降、工業化で街に工場が出来たときに農村部から人口が流出してしまってどんどん農の現状が薄くなってしまっているのです。そうすると機械化した集約型の農業が蔓延するようになってきます。そうではなくて自分が育てた麦で出来たパンを食べること、自分が育てた葡萄で出来たワインを飲むこと、これがもたらすエネルギーって素晴らしいものがあります。ですから、なんにせよそういう生活を今の家族と模索していたのではないかと思います。

④まとめ

家族と幸せに過ごすには、今現在の規模感でちょうどいいというアンドレア。自分の幸せの基準が定まっているってきっと大事なことで、きっぱりと「今がすごく幸せ」と言い切る姿が恰好良かったです。ソムリエと造り手の両方を経験して語る彼の言葉には、なんだかとってもぐっとくるものがあってじんわりしてしまいました。(担当:五月女剛)

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