自分史そしてヴィナイオータ史 その9
1999年6月、2つ目のコンテナー届く。新しいラインナップとして、Marco De Bartoli、Vinicola Savese。
Saveseの方は価格と味わいがそれなりに釣り合い取れていると思われたのか、すんなりと売れていったけど、DeBartoliは・・・。MarsalaやVecchioSamperiなどそれぞれのアイテム60本ずつとごく少量の入荷だったのにもかかわらず売り切るのに5年くらいかかったんじゃないでしょうか。まだこの手のワインの市場がないということなのかなぁ。大好きな造り手なだけに残念です。
このブログを年を追って書くために、過去の入荷履歴などを調べていたのですが、99年の売り上げはなんと2006年の10分の1でした。僕はどうやって生きていたのでしょうか。
Vinitalyの時期と秋のイタリア旅で新しい造り手と取引を始めることになる。
TuaRita いわずと知れた超有名ワイナリー、フィレンツェの知り合いのおっちゃんの紹介でできることに。この造り手のワインだけは最初から瞬殺でした。Redigaffiに至っては弊社入荷量以上の注文をするお店が何軒もあったほど。そんな造り手なのに取引は自然消滅、商人(あきんど)としての才覚は最悪です、僕。
Il Macchione モンテプルチャーノにあるワイナリーで、元歯医者さんのスイス人がワインを造っている。初リリースのノービレで3ビッキエーリを獲って話題になった。この造り手のエピソードで何よりもおかしいのは、ほとんどの造り手が額に入れて飾るであろう3ビッキエーリの賞状がひどく汚れ、折れ曲がった(ほぼくしゃくしゃの)状態でワイナリーの床に落ちていたこと。ガンベロロッソの人が見たらびっくりしただろうな。
Peter Dipoli アルト・アディジェの造り手で、イタリアの他の地域のワインやフランスワインをアルトアディジェに輸入する仕事もしている人で、自分でもワインを造ってみようと一念発起、標高の高いところに畑を買った。アルトアディジェの大半の造り手は東西にある山並みに挟まれた平地に畑を持っているのに対し、彼の畑は標高550mにある。水はけのよさと、彼の好きなサンセールのような鋭い酸を持たせるのには標高の高さも必要だと考えたのだろうか。
彼からはいろいろとアルトアディジェのワイン事情に関して話を聞いた。なかなかにひどい話ばかりで、その時くらいから”自然に(それもそれほどラディカルな意味でなく)ワインを造る”ということが、ワイン界のスタンダードレヴェルでは全くといっていいほど行われていないことに気づき始めた。アルコール分を上げるためでなく、味をまろやかにするための捕糖(イタリアでは捕糖は違法なのですが・・・)。これはグラッパの世界では広く行われているらしい・・・みなさん、ハードリカーなのに必要以上に丸かったらご注意です。
彼から熟成したピエロパンのソアーヴェ(LaRocca、Calvarino)は凄いということを教わったような記憶が。
Tommaso Bussola アマローネの造り手、確かQuintarelliから紹介されたような。QuintarelliとDalFornoに追従する造り手グループの中でも1番手2番手じゃないだろうか。値段があまりにも高くなってしまったので、このまま自然消滅してしまうかも・・・。
あと2つの造り手はいまだにヴィナイオータの根幹を成している造り手なので、”造り手”というカテゴリで紹介すべく、次回ということで。