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2012-07-17

いままで-ヴィナイオータ的決意表明その1

なんだかんだで創業して丸14年、ベテランとは言わないまでも中堅くらい(売り上げではなく、会社としての存続年数的に…です!)にはなったかもしれないヴィナイオータ。

この業界で働いた経験もなく、折りしも空前の赤ワインブームが終焉を迎えたその当時に大したツテもなく始めようとしたことに関して、沢山の人から無謀(無茶?お馬鹿??)な奴だと思われていたと思います。ですが、創業2年目にラ ビアンカーラのアンジョリーノやパオロ ベアなどと知り合い、彼らの導きで、当初はブレブレだった会社としてのワインのセレクトの基準、コンセプトも4年目くらいには概ね固まり現在に至っています。

自分の中で確固たるものができ始めた時から徐々にお客様にも認められるようになり、売り上げも伸び、結果新しい造り手との取引にも着手できるようになり、2001-2002年時点で、ラ ビアンカーラ、パオロ ベア、トリンケーロ、ラ カステッラーダ、ムレチニック、ラディコン、ヴォドピーヴェッツ、マッサヴェッキアなど現在のヴィナイオータのコアな 部分を形成する造り手が出揃います。

その面子は奇しくも(全然奇しくもではないですが)、イタリアで最初に生まれた、より自然なワイン造りを目指す造り手たちのオフィシャルなグループ、グルッポ ヴィーニ ヴェーリの初期のメンバー(今は分裂してしまいました…)であり、このグループの出現により、現在のイタリア自然派ワイン界の状況があるといっても 過言でないと思います。

“オフィシャルな”と書きましたが、非公式なものとしては80年代後半にグラヴナーのもとに集うようになった造り手達、グラヴナー、ラディコン、ラ カステッラーダ、エディ カンテ、ラ ビアンカーラ、カステッロ ディ リスピダ、ヴァルテル ムレチニック、そして数年遅れてヴォドピーヴェッツに、僕史上最高のワインの1つBaroloPianpolvereSoprano1994を最後に命を絶ったフェッルッチョ フェノッキオ、そしてそして時々一匹狼のソルデーラも彼らと食事を共にし、毒舌を吐き…と彼らこそが、イタリア最初の自然派ワインの造り手のグループということになるかと。

話は少々それましたが、彼らがオフィシャルにグループを形成し、ヴィニータリーという商業主義が渦巻く見本市を出て、独自のサロンを開催するようになって初めて、フランスだけでなくイタリアにもそういったワインが数多く存在することを人々に認知してもらえるようになり、その世間での認知度の高まりとともに、造り手サイドにもそういった考え方に共感を覚え、自らも試してみようとする人が現れるようになります。

Wさんのやっているアルベルト テデスキは、“自分が理想形として描いていたようなことを何年も前から実践している造り手達ばっかりのサロンなんてそりゃもうパラダイスみたいな場所でさ。あっち行けばラディコンがいて、マッサ ヴェッキアもいるかと思えば、マルク アンジェリやシュレールもいるわで…ホント興奮したよ。2003にあのサロンに行ったことで、彼らのワインのようなナチュラルなものを自分でも造ってみようって踏ん切りがついたんだ”って言っていましたし、弊社取扱いのカンピ ディ フォンテレンツァのパドヴァーニ姉妹もレ ボンチエのジョヴァンナ モルガンティに憧れ、志向することで現在のスタイルにまで行き着き、ダニエーレ ピッチニン、ダヴィデ スピッラレ、ダニエレ ポルティナーリもラ ビアンカーラ、アンジョリーノの存在なくしてワイナリーを興すことはなかったと思います。

もともとあった点同士が結びつき線となり、そして図形となって形を持つようになり、さらに新しい点が生まれ…こういったうねり、流れの黎明期から今に至るまでの成長過程を最も濃い人達の傍で目撃できた僕は本当にラッキーなんだと思います。いまや大御所とでも呼ぶべき存在の造り手達に可愛がられ、(彼らが)他の造り手にも良く話してくれているからか、サロンで知り合う造り手の中には、初対面であるにもかかわらず、

“ああ、お前が噂のイザート(イタリア人の発音ではヒサトがこうなります…)か!”とか、

エツィオ チェッルーティに至っては、“おお、お前がユートの親父か!あのアユート!(白05、トリンケーロの)って無茶苦茶美味いよな!”といった感じで、まったく自己紹介の必要なく会話が始められるようになってきちゃってたりして…。

必ず毎年2回ワイナリーを訪問しワインを一通り試飲していくというルーティンを10年以上続けていて(そんなやつ他に1人もいないと皆言います)、インポーターとしてと言うよりいち飲み手として彼らのワインを、そして彼らを愛してやまず、さらに商売的にも全然無視することができない割合(僕くらい買う人間が3~10人位いれば造り手的に事足りるレベルです)を買っていて…そりゃ他の造り手にも良く話してくれますよね。僕のこの愛情を理解している彼らは、仮に商売上の関係がなくなったとしてもいつまでも友達だと言ってくれ(何があったら商売上の関係が解消することになるのか、全く想像もできないですし、あり得ないとお互い思ってもいますが…)、実際取引のない造り手、モンタルチーノのイル パラディーゾ ディ マンフレーディ、エミーリア ロマーニャのラ ストッパやフリウリのダーリオ プリンチッチらは、商売上の関係は置いておいて、いち友達としていつでもウェルカムモードで迎えてくれます。

自分の好きな造り手に可愛がられ、支持されるのは当然のことながら嬉しいですし、仕事面でも、とあるボリュームを買えていたわけですから、それなりに満足しちゃっても良いような気もしますが、満足し過ぎていたというか、そこで止まってしまっていたのではないか?と気づいたのが2-3年前、そして満足のし過ぎは慢心とも言い換えられるのでは?思うようになりました。

慢心に加え、小さな諦めみたいなものもあったような気がします。

ワインの造り手(全ての造り手が、というわけではありませんが…)はアーティスト、アーティストとは表現者であり創造者。一方僕たちインポーターは、無から何かを生み出すわけではなく、他人の造った作品を数ある中から選び、購入し、輸送し、売るというのが主だった仕事なわけで、インポーターとして個性、矜持やセンスみたいなものを発揮する場といえば、ワイン(造り手)を選定するという作業に集約している…。アーティストの中でも、偉大と呼ぶべき人の作品であれば、作品自体に飲み手に雄弁に語りかけてくるだけの力があるから、我々インポーターが多くを語る必要がない…。こんなことを、以前は強く信じていたのだと思います。

本当に素晴らしい造り手と仕事ができていて、ヴィナイオータ的なラインナップとしても数、質、個性ともに十分に出揃い、僕がヴィナイオータというモノに注入すべき何かは、ある程度やってしまったような気になってしまっていたのが4-5年前。僕自身何かを創造する側にいるわけではないという事実に対する諦めから、精神的にはプチ セミ リタイア状態に突入しようとしていたのかもしれません。

加えてこの時期は、家兼事務所兼倉庫の建設もあり、気持ち&精神力の大半をそっちに取られてしまい、仕事面では消極的になりがちだったのでしょう(後にも先にも、あんなに大きな買い物はしたことはありませんので…)。なにせゼロから始めた会社ですから落ちようもないわけで、2008年までは微増とはいえ常に右肩上がりで来ていました。が、2009年に前年比で初めての落ち込みを経験し、そのあたりからいろいろな事を(ようやく!)考えるようになりました。

インポーターとして成長する過程で、取り扱う造り手の数と、各アイテムの入荷本数を増やすことは必要不可欠なわけで、創業時約10生産者の取扱い1万本の在庫だったものが現在では50生産者以上の取扱いで在庫も約10倍となり、これ自体はほぼ想定内のことでした。ですが、リストに複数ヴィンテージの取扱いがあるワインに関して、そのワインを1年に買う本数(つまり1ヴィンテージで買う本数)に対して、オンリストしている全ヴィンテージの売れた本数を合算したものの方が遥かに少ないワインがいくつかあること、そして、この状態がもう数年続いたら大変なことになるということにとようやく最近気がづいたんです!

飲んで頂ければ、その凄みをご理解いただけるようなワイン(の在庫)がなぜ減っていかず、インポーターの在庫するヴィンテージが増えてしまうのか?売れた本数に対して、飲まれた本数が圧倒的に少ない…つまり多くのボトルがセラーの肥しとなってしまっているということなのだと気付いたのです。もちろんワインの醍醐味に熟成の過程を追うというのがあり、取っておくことも大切だと思うのですが、特にヴィナイオータが扱うようなワインは、より純粋な”飲み物”であるべきな気がするのです。

今でこそ嗜好品などと呼ばれるようになったワインですが、もともとはパンとワイン、つまり食品のひとつだったわけです。自然に対して最大限の敬意を払い、畑でもセラーでも過剰な関与を避けようというコンセプトのもとに生まれたワインは、圧倒的な個性や複雑さを内包しつつも素晴らしい飲み心地を備えています。ヴィナイオータが数多く扱う、赤ワインのように皮や種ごとの醸し醗酵を行った白ワインは、その強い個性から、食事との相性が難しいと思われる方もいらっしゃるようですが、むしろどんな料理ともケンカしない懐の深さを持ち合わせていたりします。さらに言うなら、一部のワインのように、投機目的で取っておく意味も全くありませんし!

こんな感じで、自由なワインの楽しみ、喜びをまだまだお伝えできていなかったということ、つまり今まで大した仕事をやってこれていなかったことを本当に痛感してしまったオータなのでした。で、今の僕が思うインポーターの仕事とは、

選ぶ→買う→運ぶ→売る で完結するのでなく、

選ぶ→買う→運ぶ→熱をもって伝える→売る→飲まれる→喜ばれる→再び飲まれる→再び喜ばれる

という無限ループを実現に対して、積極的に関わっていくことなのだと思うに至ったのです。

そんなことに気付いた時期に、どっぷりとはまってしまったというか、ゾッコン惚れ込むことになってしまったのがピアニストの上原ひろみちゃん。彼女の音楽、音楽に対する姿勢、書く文章、どれをとっても腑に落ちることばかりで、自分を見直す機会を与えてくれた恩人とでも呼べる人。初めて彼女の1stアルバムを聴いた時から、技術もそうですが、CDからでさえ伝わってくる異様なテンションに驚かされ、その後映像で彼女が演奏している姿を見て、すべて納得。音楽に対する深い愛情、自分を恵まれた人間だと認識し、それを支えてくれる周りの人に対する感謝の念、それらを痛感しているからこそ、プロとして妥協をすることを拒み、一音一音に魂を込め・・・。

天職という言葉がありますが、ピアニストは彼女にとってまさに天職なわけで、天職に就けている悦びみたいなものがライヴでは爆発して、そのエネルギーが周りを感動させ、その感動エネルギーを受けさらにギアを上げ・・・そうなんです、インポーターとしてヴィナイオータが実現したいと考えている無限ループをひろみちゃんは音楽の世界で実現(体現)しているのです!

“音楽”の部分を、“ワイン&造り手”に置き替えたら、僕の置かれている状況と目指すべき道が示されているではありませんか!

上手(感心)と一流(感動)を分けるものが、情熱と想いであることを思い知り、僕が置かれている恵まれた環境(家族、家族の理解、スタッフ、造り手、仲間とでも呼ぶべきお客様、友人)を鑑みれば、ひろみちゃんの域までは到達しないまでも気概だけはそこを目指すつもりでやるべきだと考えるようになりました。

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