toggle
2011-11-18

造り手紹介 アリアンナ オッキピンティ その1(2011.11筆)

アリアンナ オッキピンティいきます!!
c0109306_961514

2004年がファーストヴィンテージ。現在は29歳のアリアンナですが、2004年の収穫は、なんとまだミラノの醸造学校で卒論に取り組んでる真っ最中でした。ミラノとシチリアを行ったり来たりしながら、無我夢中で収穫していたはずです。

実はこの、アリアンナの文章だけ、サノヨーコ(しゃちょうブログと実生活では、“おばちゃん”と呼ばれています)が書かせていただいております。もともと彼女のワインを日本に紹介したのはわたしですし、何より、彼女とは、わたしがシチリアに住んでいる時からの、長い付き合いですから。

デビューした当時は、まだまだひよっこというべき、生まれたてほやほやの醸造家。学生に毛が生えたくらいのものですから、彼女を“醸造家”という言葉で呼ぶのさえ、ためらわれたものでした。ところが、翌年イタリアで初ヴィンテージがリリースされるやいなや、あっという間に業界の話題をかっさらってしまったのです。というより、彼女の場合、デビューする前から、ちょっとした有名人になってしまったエピソードがあるのです。

それは2003年のこと。醸造学校に通う彼女が、ヴェロネッリという、イタリアのガストロノミー界では超有名な出版社の筆頭記者、ジーノ・ヴェロネッリに宛てて、手紙を書いたのです。そう長くはないあの文章が、彼女をここまで有名にしてしまうだなんて、彼女自身、想像していなかったことでしょう。

ヴェロネッリ誌の中で全文紹介されたその手紙、後にガイドブックの中でまで繰り返し賞賛されることになるのですが、要は、ワイン造りを夢見るひとりの少女が、現代のワイン造りが過剰なテクニックと科学的アプローチによって、本来の神聖さを失ってゆくことを涙ながらに訴えた、そんな内容だったと記憶しています。しかも、その嘆きがまた、非常に詩的でナイーブな表現に彩られているものですから(醸造学校で教えられることを鵜呑みにする友人達への心配やら、価値ある樹齢の高い樹が生産効率を重視するために抜かれていくことの悲しみなど)、「こんな痛々しい少女を放っておいてはいけない!」とおじさまたちが立ち上がってしまったわけです。その手紙は、あちこちのフェアーで配られたり、新聞や雑誌、ワイン関係者のブログなどで引用され、彼女がワインをリリースする頃にはすでに「あのヴェロネッリへの手紙の娘か!」で通じるくらいに評判になっていたのです。

つまり、彼女のワインを味見する前から「全量くれ!あるだけ買うぞ」といわんばかりの勢いで、酒屋、エージェント、レストランなどの(なぜか、というかやはり)おじさま達が殺到し、少量しか生産されていなかった彼女のワインを取り合うようなデビュー戦となってしまったのです。

わたしは彼女がボトリングする前から日本のインポーターを紹介していたのである程度の量を分けてもらえましたが、そうでもなければ、とても手に入れられる状況ではありませんでした。今でも見られる光景ですが、自然派ワインのフェアなどに参加しているアリアンナを見ると、老若男女、もとい、老若男男、常にひとだかりが出来ている。一度など、彼女のブースに真っ赤なバラの特大花束が用意されていて、驚かされました(犯人は、パンテッレリア島の生産者でしたが)。

日本人にはちょっとわかりにくい感覚かもしれませんが、少し浅黒い肌に漆黒の長髪、りりしい眉毛、鋭い眼差しと…そしてやっぱり豊満なボディー。イタリア人の夢見る、地中海美人を絵に描いたような容姿の彼女。加えて、耳障りなほどのハスキーボイス。ヨーロッパでは、セクシーさの象徴なのです。

それでいて、生産者の中ではダントツの若さ、かつ独身なのですから、どんな女性に対しても賞賛を態度で示さずにはいられないイタリア人が、放っておくわけがないのです。こう言ってはなんですが、学生時代には野暮ったい田舎娘の印象もあったのに、ワインをリリースして2年目には、見違えるほど美人に、洗練されたようにも見えました。やはり女性は注目されると磨かれるのでしょうか。

問題は、ものすごく太り易いという家系的な体質で、収穫などで忙しい時期とそうでない時期の体重差が10kgくらいあったりします。わたしの家に遊びに来て日本料理を作ってあげると「ダイエット中だけど日本料理はヘルシーだから」と3人前くらい食べていたものです。2008年に来日して試飲会のためにあちこち一緒に回ったときにも、随分食べていましたね。…こんなこと書いたら怒るかな。でもあまり細かいことは気にしなさそうです。ほんと、ほれぼれするほど男っぽい性格なのです。

今年は太らないでイタリアに帰ることができるといいね、アリアンナ。

そして、すでにメディアの常連だった彼女を、さらに有名にしてしまう事件が!今年の6月に公開された『Senza Trucco』。日本語訳すると、ノーメイク、というタイトルのその映画は、イタリアで活躍する4人の女性醸造家を取材したドキュメンタリーです。

わたしは一部しか見ていないのですが、相当話題になったようで、アリアンナのブログにあった動画の宣伝を見る限り、シチリアのアーティストによるBGMもカッコよく、内容も面白そうです。世の中で「世界で活躍する10人の女性なんちゃら~」とか、「トップ女性ほにゃらら」といったものが、実際には外見だけを選択基準にしているミスコン、いわば形を変えたポルノグラフィーだ、と批判して、中身で勝負よ!という内容になっているようです。CMカット集の最後に出てくるアリアンナ(ちょっと太ったような。。。)が

「わたしのこのはっきりしないことだらけの人生で、たったひとつだけ確かなこと。それは、ワインを造り続けること。そう、それだけは、疑いの余地がない…」

的なセリフを、怒ったような、照れているような、ぶっきらぼうな表情で語るTシャツ姿の彼女は、JAZZの軽快なBGMがなくても、相当カッコ良く感じられます。ぜひ皆さん見てみてください!

…とまあ、彼女の容姿やらダイエットやらのことばかり書いてしまいましたが、少しはワイナリーの背景も。

ヴィットリア市外の小高い丘にあるパルメント(伝統的な大型のワイン醸造施設。50人以上は入れようかという、足で踏むための巨大なステージと発酵槽、馬がひいていた木製のトルキオ(圧搾機)、発酵から熟成に使用される大樽を擁する熟成庫まで、すべて天然石で作られている。

イタリア各地で廃墟となって打ち捨てられていたが、近年その魅力・実用性が再評価され、非常な高額で売買されるようになった)に一目ぼれしたアリアンナは、そこで自分のワイナリーを開くため、ミラノから帰省する度にさまざまな準備をはじめます。石灰質を多く含む白い軟石だけでつくられた、美しいパルメントの魅力もさることながら、夏は砂漠のように暑く乾燥してしまうヴィットリアにおいて、昼夜の寒暖差を生む海風が吹き抜ける丘と丘の狭間に建ち、さらに石灰質を多く含む白い土壌と粘土質の混在する周囲の土地が、長い間人の手に汚されずに何十ヘクタールも広がっているという最高のロケーションに、すっかり魅了されてしまったのです。

新しく植える畑だけでは何年も採算がとれませんから、その周辺で立地の良い区画を周って樹齢の高い、伝統的なアルベレッロで仕立ててある畑を捜しました。年老いた農夫たちに自分で交渉して、剪定から全ての畑作業をやらせてもらうという条件でネーロ・ダーヴォラとフラッパートの畑をいくつか借りられることになったアリアンナ。
ヴィットリアという彼女が自分のセラーと畑を構えることになる町は、彼女の生まれ育った町でもあり、また叔父のジュースト・オッキピンティがワイナリーCOS(コス)の拠点を構える土地でもあります。彼女より20年以上も前からヴィットリアで、ジューストを含む建築家の学生3人が、やはり在学中に立ち上げてしまったワイナリーCOSは、シチリアの中だけでなく、イタリア全国で既に知名度が高く、彼の力を借りればもっと簡単に話は進んだはずですが、負けん気の強いアリアンナは、独自に自分の理想の畑を探しあて、交渉したのです。

小さい頃から叔父の後ばかり追い回し、ブドウ畑とセラーで多くの時間を過ごしたアリアンナ。14歳のときすでに「いつか必ず自分のワインをリリースする」と決意していたというから、なかなか気合の入った中学生だったといえます。10年と経たずにその夢を実現したアリアンナ。若いのに頑固で、融通が利かないなあと思ったこともありますが、彼女の意思の強さは、シチリアのド田舎の、閉鎖的な男社会である腰の曲がった農夫たちに、自分のやり方で畑を任せてくれという小娘の主張を受け入れさせるほどの迫力だったと思えば、やはり賞賛に値すると思います。

とはいえ、彼女はまだ学生。1ヘクタールの畑を借りる口約束はできても、不動産の売買など金銭的にも立場的にも手の届く話ではなく、建築家である父親(オッキピンティ一族は建築家か教師しかいないそう。アリアンナの姉もパリに留学してランドスケープのプロジェクトに参加していました。)が廃墟の買取り手続きを進めることになります。そしてなんと、翌年本当にそのパルメントを購入してしまうのです。パルメントにもさまざまな規模がありますが、アリアンナのパルメントは、3、4棟の建物とアラブ式庭園を擁するかなり大きな施設で、おそらく修復だけでも億単位の話だったはずです。

この辺りの成り行きが、アリアンナが地元の名士を親に持ち、叔父も有名なワイナリーの経営者、など、ワイン界のサラブレット、ラッキーガール的イメージで語られてしまう理由なのでしょう。確かに、醸造学校に通う一介の学生が、たとえどんなに才能に恵まれていたとしても、ひょいと実現できてしまう規模の話ではありません。

自然派のフェアに参加している、長年苦労してきた小さな生産者たちから多少ねたまれてしまったとしても、仕方のないことでしょう。
c0109306_12371067

フランク・コーネリッセンが、初期のアリアンナ・オッキピンティのワイン造りにもっとも大きな影響を与えた人物であることは間違いありません。2002年と2003年の、まだ畑を探している段階では、車で片道3時間もあるヴィットリアからエトナまでの道のりを、毎週通ってきてはフランクの畑やセラーを見学して手伝ったり、他の生産者のワインを開けては一晩中語り合ったりしていました。偶然誕生日も同じこの二人は、もともと性格も嗜好も似通ったところが多いうえ、若いアリアンナはフランクに感化されて、当時彼に教えられてどっぷりはまってしまったニック・ケイヴの音楽のように重く、どっしりと彼女の上にヘビーなワイン哲学が覆いかぶさっていきました。

アリアンナも、実際にワインを造りを始める前までは、完全亜硫酸無添加でのワイン造りを念頭においていましたし、またフランクがそうであったように、亜硫酸を添加されたワインは屍に等しいなどというような、過激な哲学にまで傾きかけていた頃もありました。

アリアンナが、皆が思っていたような無垢でピュアなひよっこ、であったならば、そのまま一直線にあちらの世界に駆け込んでいたかもしれませんが、彼女のもっとも恵まれた点は、お金持ちの両親を持ったことよりも、若い頃からイタリアやフランス、スペインなどの様々な生産者と交流を深めることができたことではなかったかと思います。

特に、エミリア・ロマーニャのラ・ストッパのエレナ・パンタレオーネ女史とは、アリアンナが中学生の頃からの長い付き合いで、今では一緒に食品会社を共同経営するほどの仲です。ピエルパオロ・ペコラーリの章でもでてきますが、エレナのワイナリーはそこそこに規模が大きく、リスクマネージメントに対しては非常にシビアです。

彼女との付き合いや、ニコラ・ジョリー率いるルネッサンスAOCの生産者との交流、そして、わたしも何度も一緒に飲む機会があった、自然に造られたものであっても、飲んだ味わいとして決定的な欠点があると思わずにはいられないような亜硫酸無添加のワインとの出会い。そういった様々な要素が、彼女を冷静に、理想だけに飛びつくことなく、地に足をついた生産へと向かう道しるべとなっていったように思います。

そして何より、スポンサーである父親は、良くも悪くも、アリアンナの自由を制限している最も大きな存在です。建築家であるブルーノは、巨額のお金を娘に貸した形でワイナリーの経営に携わっているのですが、この人がまた、異常に細かい。ボトリングされたワインを売るという、唯一の収入にありつくまでの長い時間に生じる、ありとあらゆる出費に関して、彼女を問い詰めてしまうのです。実際に、食べてゆくのに困るということにはならないはずの彼女が、ワインを売り急いでしまいがちなのは、ひとえにブルーノの干渉が耐え難いからなのです。ファーストヴィンテージのリリースのタイミングにしろ、もっと長い熟成を必要とするチェラスオーロD.O.C.G.の生産量にしろ、アリアンナ自身は、もっと寝かせてからリリースしたいのは山々だし、念願のチェラスオーロだって、ひと樽といわず沢山試してみたいはずだし、けれど、なんといっても、先立つものは金。背に腹は変えられない、という切迫感が、はじめてから数年は、彼女の言葉のはしばしから、ひしひしと感じられたものです。

親子とは思えない、いや親子でなければそこまでにはならないのかもしれませんが、壮絶な絶交状態が何ヶ月も続いたことも過去に一、二度ならずともあり、叔父のジューストが心配して仲を取り持とうとし、双方から拒絶されていたのも見てきました。学生の頃は、父親の言うことを受け入れるしかなかったかもしれませんが、ある程度業界でも認められ、自分のワインに商品としての自信も生まれてきています。そろそろ、自分のワインに関しては自分で責任をとる、と言い切りたいはずですが、あと何年かかれば父親への借金を返せるのでしょうね。

彼女には精神的負担が大きいのかもしれませんが、そういう制約があることは、必ずしも彼女にとってマイナス要素ばかりではなかったと思うのです。

金銭的に恵まれた環境にある生産者が、そうでない生産者から批判の対象にされてしまうのを頻繁に見てきましたが、後者が望まずして恵まれない状況に置かれたのと全く同様に、アリアンナだって、現在の、傍から見ればラッキーな立場を、自分の意志で選べたわけではないのです。アリアンナのような立場の人間を、いっぱひとからげに甘ちゃん呼ばわりするのは、やはり少し不公平な態度である気がします。間近で彼女の成長を見守れなくなってしまった最近、その人が何を持っているのかということでなく、与えられた情況の中で、どう最善を尽くしているか、を見てあげてほしいなあ、と思ってしまいます。

おばちゃん、素晴らしい文章です!!(太田筆)

今回お出しするワイン:
SP68 Rosso 2010
Il Frappato 2008
Siccagno 2007
Cerasuolo di Vittoria 2006
Passonero 2008

関連記事