造り手紹介 ラディコン その1(2012.3筆)
ヴィナイオータが取り扱う造り手の大半が、ワイン界における過激派に属すと世間的には認識されているのかもしれませんが、ラディコンは、世間の過激は自分の普通だ位に思っている僕でさえ、「おー、なかなかラディカルだねぇ」と思うこともしばしばな造り手。ですが、そのラディカルさが他の人には真似のできないもので、それが彼のワインに唯一無二の個性を与えていることも事実。
”ないない尽くし”な彼のワイン造りですが、何も考えることなくただただ乱暴に”しない”を選択しているのではなく、彼なりに確証を得ながらここまで来ているのだということを時系列的にご紹介しますね。
スタンコのお祖父さんがワイナリーとしての活動を開始します。1980年にワイナリーはスタンコのものとなり、同時にそれまで桶売りをしていたワインの自家ボトリングを開始。自らの名前を冠したワインを世に出すわけですから、より高いクオリティを追求する手法を採用するようになります。
具体的にいいますと、
畑では、シャルドネやソーヴィニョンなどの国際的な品種の導入し、この地域では4-5000本/haくらいが一般的だった植樹密度を9500-10000本にまで上げます。
畑、傾斜がかなりあります。
セラーの仕事ですが、ラディコンもかつては”伝統的なワイン”造りを行っており、80年代後半からは小樽での醗酵・熟成こそがクオリティの高い白を造る為には重要だと考えるようになります。
ワインが”偉大”であるか否かを判断する際に、複雑さや味わいが重層的かどうかが重要であると考えられていると思うのですが、赤ワインのほうが白よりも複雑(偉大)であると、一般的にはほぼ無意識の世界でそういった思い込み(認識)があり、それに疑問を感じた94-95年頃のスタンコ。
加えて、彼の住む土地コッリオは伝統的に白の生産地域、複雑で、なおかつ自然な造り&味わいの白を造ろうと考えた時、
「だったら、赤みたいに白を造っちゃえばいいんじゃね?そもそも、ブドウの皮の色の違いで、造り方が違う事自体変なんだよ。昔は白だってそうやって造っていたんだし、皮ごとの方が醗酵もスムーズに進むはずだし、ますます培養酵母なんかに頼る理由がなくなるじゃんか!」
白ではなく、メルローをピジャージュする僕。結構力が要ります。醗酵が旺盛な時は、僕の体重&腕力では皮を沈めることさえできませんでした。
白醸してるの図
というわけで95年、リボッラ ジャッラで皮ごとの醗酵を試験的に行います。バリックを縦置きにして、樽の丸い板の部分をぶち抜いて即席の開放式醗酵槽を作ってですので生産量も300本程度、商品として扱ったのはヴィナイオータだけではないでしょうか。
96年、白ワインの全生産量に対してマセレーションを開始(1週間程度)。96年は激しい雹が降った年だったということもあり、生産量も極端に少なかったのですが、途中で販売を中止してしまいます(いまだに数百本はセラー奥にあると思います)。95年(94?)まではシャルドネ、ソーヴィニョンなどの国際的な品種も単一で醸造、ボトリングしていましたが、土着品種であるリボッラ ジャッラにこそスポットライトを当ててあげなければならない考えるようになり、リボッラ以外のブドウ(シャルドネ、ソーヴィニョン、ピノグリージョ、00まではトカイも若干)は全て混醸し、オスラーヴィエ(彼の住む村の名前、オスラーヴィアのスロヴェニア語表記)という名前でリリース。
97年頃から大樽で3年熟成させるようになり、マセレーションの期間もアルコール醗酵の最後まで行うようになる。通常のキュベ用のブドウよりもより長く樹上で追熟させたブドウで仕込んだワインは古バリックで4年以上熟成させ、5年以上の瓶内熟成を経て、同年に生まれたスタンコの次女の名を冠してリゼルヴァ イヴァーナとしてリリース。リボッラ97イヴァーナは、イタリア自由なワイン界の世界遺産に認定されるべきものかと。
99年、00年とオスラーヴィエの一部極少量を酸化防止剤完全無添加でボトリング、その結果で確証を得たスタンコは段階的に本数を増やし、02からは全生産量を無添加でボトリング(メルローは99か00から無添加)。
全ての醗酵槽に対して同期間のマセレーションを施すわけではないのでなんとも言えないのですが、どんなに雨がちな年であっても、2か月は行いますし、あの醗酵槽のリボッラはクリスマス前に圧搾して、あっちの醗酵槽のリボッラは4月に圧搾したり・・・というふうに実験しつつ様子を見つつといった感じなので、今(2012年現在)の彼の白は、1‐3ヶ月くらいのマセレーションをしたワインということになるのでしょうか。
白ブドウに長期間のマセレーション、長い樽&ビン熟成、酸化防止剤無添加・・・、彼が行ってきたワイン界の通念(常識)破壊はこれだけにとどまりません。ビン&コルクのサイズまで変えてしまうのです!
750mlの代わりに500mlにしたのは、実にイタリア人らしい発想でした。
「500だったら、2人とかでのビジネスランチでも軽ーく飲める量だろ?で、ディナーの場面でも、2人で白赤750を2本てのはなかなかきついけど、白500赤750だったら難なく飲める気がしないか?」とのこと。
コルクに関しては、良質な天然コルクが今後さらに入手困難になることを想定して(実際に近い将来、需要に供給が間に合わなくなるという話もあります)、コルク業者に今までにない小さなコルクを、それに併せてビン業者にも今までにない小さな口径の瓶を開発してもらいます。
これだけじゃありません!2001年に初めて単一でボトリングしたトカイ フリウラーノ(現フリウラーノ)が、その濃い色調やら何やらで、”トカイ フリウラーノという品種が持つべき特徴が備わっていない”とのことで、CollioDOC(原産地呼称)をもらえず、表ラベルにブドウ品種名を表記することができなくなります。畑でも誠実な仕事をし、セラーでもその土地で獲れたブドウに対してできる限り人為的な関与を避けるようにして造られたワインが、その土地の名前も使われたブドウ品種も表記できない・・・。加えて、ハンガリーとのトカイという名前を巡る裁判に敗れ、Tocaiと表記できなくなることも決まっていたそんな時、スタンコに素敵なアイデアが浮かびます。Tokaj(スロヴェニア語表記)を逆から書いてJakotって名前にしよう。
人(というより組織)をおちょくったネーミングが、同じようなフィロソフィーでワインを造る造り手たちにバカ受けします。今現在では、スタンコ同様の理由でブドウ品種や原産地を表記できないワインの造り手で、スタンコがOKを出した人のみがJakotという名前を使っていいことになっています(当然トカイ100%で)。
とここからが本題なのですが、凄く長くなってしまったのでいったんここまででアップします!