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2023-05-29

ヴィナイオッティマーナ2022【造り手セミナー】ルイージ テッチェ

①セミナー動画 (質問コーナー|00:00~)

ヴィナイオッティマーナ2022 P6 DAY1に行われたセミナーの様子です。ナポリから東に90km、タウラージ村にほど近いパテルノーポリに今回来日してくれた現当主、ルイージ テッチェのワイナリーがあります。1997年に父親が亡くなったことから、標高500mにある1ヘクタールほどの畑を引き継ぐ形でワイナリーに携わることになりました。ブドウの完熟を見極めながらひと房ずつ収穫しているため、人一倍時間がかかる作業やセラーや家の恐ろしいレベルの片づけ具合、チーズやハムの切り方や盛り方などを見れば、仕事面でもマニアックなまでにディテールを追求していることが容易に想像できる、孤高のタウラージの造り手です。

②造り手紹介

ルイージ テッチェの造り手紹介、詳しくはこちらから。

③造り手への質問と回答

Q1. 元々、思ったようなワインにならずボトリングを迷っていたとお聞きしているオルフェをというワインが、日本で非常に人気となっておりますが、それについてどのように思いますか?(02:30~)

A1.2017年というのはとても乾燥し暑い年でした。そういった難しい年のブドウであっても、私のワイン醸造における信念から、醸造において人為的な手助けをすることなく醗酵を行いました。そうしたところ揮発酸が高くなったり糖が残った状態のワインとなってしまいました。それをヒサトに説得されてボトリングしたわけですが、その結果、瓶の中で二次醗酵が始まってしまいコルクが飛び出るようなワインが出来上がってしまいました。
やはりボトリングすべきではなかったのではないかと心を悩ませていたのですが、日本の皆さんが楽しんでくれているということを聞きまして、心が晴れる思いです。

Q2.まだ、日本では取り扱っていない銘柄のワインがあるようですが、今後、日本でも販売される予定がありますでしょうか?(05:19~)

A2.ヒサトが欲しがれば日本にも入りますよ。(笑)それはともかく、白ワインが日本に販売していないワインなのですが、私は白ワイン用のブドウの畑をあまり持っていません。ですので、元々、自家消費用程度の量しか造っていませんでした。ただし、2015年と2020年に関してはラベルまで制作して販売を行いました。2015年は私の母が70歳となる年で母に捧げる意味もありました。2020年に関しては、親交のある歌手のために造りました。2020年に関しては、まだ本数があるのでヒサトが欲しがればありますよ。

あとはロゼワインがあります。標高の高いタウラージのようなゾーンで栽培されるアリアニコという品種のブドウは、とても凝縮感のあるタンニンのしっかりしたブドウとなりまして、そのようなブドウで造った赤ワインは、どちらかというと毎日飲むワインというよりも、休日や、親族が集まった時などしっかりとした食事をするときに楽しむようなワインなんです。平日に軽く飲むワインとしては重すぎるのです。

偉大なポテンシャルを持った黒ブドウは、白ワインのような絞り方をしてもそれなりの表現力があるんです。アリアニコは色素が強くダイレクトプレスであっても多少の色素が抽出されたロゼワインとなります。私のロゼワインはそのようにして造っています。私たちは、トマトソースのパスタのような食事を軽めの食事を日常的に食べるわけですが、そのような普段の食事のときに楽しめるワインがアリアニコでも造れるんだ。ということが分かりまして、造るようになりました。2018年と2020年の2回仕込んだことがあるのですが、その結果にとても自信がつきまして2022年はかなりの量を仕込みまして、今、樽で熟成中で2025年ころにリリースする予定です。それに関しては、ヒサトが仕入れれば皆さんに楽しんでもらえるかと思います。

Q3. ワイナリーを引き継いだ初期の頃、ご自身の中で一番印象に残っていることや大変だったことはありますでしょうか?(22:32~)

A3. たくさんの出来事がありました。1980年代までは自分の家族はブドウを栽培していましたが、ボトリングするわけではなく、自家消費用と、量り売りのワインを造ってきました。我々タウラージのゾーンにはとても大規模なワイナリーが2件あるわけですが、そこに栽培したブドウの多くを卸していました。そのころから、近代的なワイン造りが注目を浴びた時代になり、醸造責任者がスターのような扱いになっていきました。そして、そのスターが造ったワインは、どんなブドウでも、まるで洗礼をされたかのように、それはもう偉大なワインとして扱われる。しかもその過程では、たくさんの化学的な薬品を使ってワインが造られるわけです。そんなワインであっても、スターが監修したワインということで、世間では美味しいワインであるとされる時代でした。

そんなワイナリーに我が家はブドウを卸していたわけですが、ただ、ワインというものは本来そういうものではないだろう。と感じていました。ワインは文化を体現しなければいけないし、それはブドウのみから造られるものであって、それは農の現場から考えなければいけないのではないかと思っていました。当時のワインの評価の在り方に異を唱えるためにも、自分でワインを造ろうを思ったわけです。
それからは、大変なことははたくさんありました。その中でも一番大変だったのは、コミュニケーションの部分でした。健全なブドウを栽培し、人為的な介入を極力しない醸造をして、5,6年の熟成期間を経て販売するわけですが、多大な経済的なリスクを負いながらのワイン造りとなります。しかし、どんなに自分が熱い思いを持ってワインを造ったとしてもなかなかそれが伝わらないのです。そんななか、ありがたいことにヒサトのような、自分が一番大切にしていることに対して、ちゃんと反応して支持してくれる人間が現れることになるのですが、そんな人たちと出会うまでが一番難しい期間でした。
でも、ヒサトがワインを買いたいと言ってきたときには、正直、大丈夫かと心配になりました。本当に何も化学的な処置をしていないワインが、長い航海を経て1万キロの距離を運んで、健全な状態でいられるのか内心とてもビクビクしていました。でも、今回、初めての来日となったのですが、ちゃんとワインが健全な状態であることが確認できてとても安心したのとともに、やはり、薬品などにたよらなくても、健全なブドウでワインを造れば大丈夫だろうと、いう思いはありましたが、それが改めて自分で確認できて、とてもうれしいです。

④まとめ

初めての来日となりましたルイージでしたが、ナイーブで繊細な彼にとって、にぎやかな大勢の中で、慣れない日本の食事の連続は負担が大きかったことは、食事の際の彼の表情でよくわかりました。それでも、自分のワインを評価してくれる日本に来られてうれしいと話してもらえたことは、日本側の感謝の気持ちが伝わったのかなとうれしく思いました。
来日した際、ホテルで大型のスーツケースを3つも4つも持ってきていて何がはいっているのだろう??と思ったのですが、彼は毎日、色は派手目のクラシカルなジャケットとボルサリーノ帽を日ごとに替える伊達男でした。そんな彼のロゼワインが2025年ころに日本に届くことでしょう。今からとても楽しみです。
(担当:桑原)

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