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2009-12-18

造り手紹介 アールペーペ その1(2009.12筆、2014加筆)

Edoloを後にし、目指すはSondrio! 町が近づいて、右手に見えてくる畑のエグい事エグい事・・・。

グルメッロの畑の遠景

グルメッロの畑の遠景。写真右奥の山に雪が残っているの見えますね。これだとちょいエグ程度かもしれませんが、

ちょっとズーム、かなりエグそうな・・・。町の少し手前を右に曲がり、目的のワイナリー到着。そこで見たものは、

エグーーーーーい!畑の上のほうが全然見えません!!!

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横から見ると、・・・やっぱり凄い。

あの凄さは行って、実際に見てみないと、伝わらないかもしれません。それにしても、こんな場所によくもまあブドウ畑なんて・・・、人って凄いですね。ワインというよりも、アルコールへの執着だけで、こんな奇特な場所に畑を作ろうだなんて考えるでしょうか??(←この文章大事です)

ワインが、文化、伝統、食生活という範疇さえ超えて、生きる為の糧であったからこそ人は執着し、ヴァルテッリーナやチンクエテッレなどのとんでもない場所を命がけで開墾し、ブドウを植えたのではないでしょうか??

畑であんぐりしたのも束の間、HPでは見て知っていたのですが、畑の下の岩盤を掘って作ったワイナリーも圧巻でした。なにしろでかーーーーーーーーい!

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樽(5,000リットル)も醗酵槽も大きい!この場所が入り口にもっとも近いフロア。

この写真の右手に見えるのが先ほどの写真の樽のある所(写真をクリックして拡大してみてください)。そこからさらにこんなに掘られているんです!

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で、これは一つ前の写真の左側にあたる部分で、馬鹿でかいセメントタンク。今は使ってないので、

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小さなサイズのステンレスタンクの置き場になっていました・・・。

生ヴァルテッリーナ岩盤。

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ボトルをストックしている場所。20万本が造り手的に万全の状態になるまで寝かされています・・・。
とこんな感じで、すべてのスケールが凄すぎて開いた口がふさがりませんでした。

ここで造り手に関して紹介させていただきますね。
AR.PE.PE.(アールペーペ)
ペリッツァーティ家は、1860年以前からブドウ栽培とワイン生産してきたとHPに書いてあります。しばしば、何年創業のワイナリーというのを目にしますよね。しかしながら彼らの場合、いつから生業として、ブドウ栽培、ワイン生産をやってきたのか、文献に残っておらず、記憶にもないそうで。じゃあなんで1860年という具体的な数字が出てくるのかといいますと、スイスの、代々に渡ってペリッツァーティ家のワインを買い続けてきた一家が、1960年に訪ねて来まして、曰く、この年でペリッツァーティのワインを買い続けてちょうど100年になるという・・・。なので、それを記念してお祝いをしようといった時に、だったらワイナリーの創業年も彼らが100年前から買っているって言うんだから、100年はワイナリーの歴史は少なくともあるってことだから、1860年にしちゃおうということに。

1960年代に現在のワイナリーを完成させる(かつては、山の外にせり出している部分があって、もーーーーっと大きかったんだそう・・・)。1970年代には、50haものブドウ畑を所有していたが、相続等の問題でワイナリーをスイス/アメリカ資本の食品会社に売却してしまう。そして現当主イザベッラ&エマヌエーレの父親であるアルトゥーロは、売却後も変わらずペリッツァーティの名前でリリースされる、質より量や効率を重視したワインを目の当たりにします。

失われゆくヴァルテッリーナのワインの伝統を憂い、そしてそのかつての名声の復権を心に誓い、1983年に一部の畑を買い戻し始め、1984年に新ワイナリーAR.PE.PE.(自身の名前であるArturoに、父方と母方の名字、Pelizzati、Peregoの略)を創立する。

彼の、ヴァルテッリーナのワインに対するアイデアは非常に明確なもので、それは現代醸造学的、マーケティング的には異端とされかねないものだった。その考えの基本となっているもの、それは“時間”。1984年から醸造を開始して、初めてワイナリーの外にボトルが出たのが1990年。彼は自らの行動で、ヴァルテッリーナのテロワールを引き出してあげる最良の方法が時間であることを証明してみせます。現在は、イザベッラとエマヌエーレによって、11haの畑から4-5万本を生産。温度管理をせずに20-25日間にも及ぶ長いアルコール醗酵を行い、オーク、栗やアカシア製の大樽での長期熟成、そして瓶内でも数年寝かせた後にリリースされます。

山の向こう側がスイスということで、おそらく誰もが気候的に寒いとイメージされると思います。実際僕も彼らの説明を受けるまではそう思ってました。しかし、北は高い山に守られ寒風はブロックされ、南からの湿った空気も南部の山でブロックされる。そして西にあるコモ湖からの暖気が流れてくるため、春夏は非常に温暖で乾燥しています。つまりはブドウ栽培に適した場所ではあるのですが、南側にも高い山があるために、できるだけ長い日照時間を得るためには、南向きの斜面にブドウを植える必要があり、そこがえげつない岩山だったにも関わらず、多くの労働力と時間をかけて、あの段々畑を作っていったわけで…。あの畑で作業する大変さといったら想像を絶します。

某ワイン雑誌に連載していたコラムで、我が盟友サノヨーコも書いていましたが、僕たちが尋ねるよりも先に彼らのほうから、“化学肥料も使わないし、除草剤などは使わずに草刈は手作業でやってるけど、農薬だけはボルドー液よりも強いものを使っているんだ。”と正直に言っていました。11haの畑を、8人のフィックスで働く若者(+エマヌエーレ)が晩春から収穫前まで、あっちの畑が終わったらこっちの畑とせっせと草刈りし、そして全ての畑で作業が終わったと思ったら、一番最初にやった畑が草ボーボーなのでまた最初から…こんな感じの作業が春から収穫までの間ずっと続くそうです…。

ちなみにですが、ちょうど同じくらいの畑面積を持つアンジョリーノ(ラ ビアンカーラ)の場合、収穫以外の基本的な畑作業は2-3人でやっています。つまり人件費だけで3倍以上かかるんです!!!!トラクターも当然入れませんので、収穫したブドウも全て人力で畑の外に出さなければなりません。

自家製の、ブドウ入れたカセット運ぶ用リュック。こんなの背負ってあの畑を上り下りするなんて・・・そりゃサッカーで勝てるはずがありません。

モデル:サノヨーコ

40-50kgのブドウを背負いながら、人ひとりがやっと通れる程度の写真のような石の階段を何度も何度も上り下りして…上のモデルなら、ひと担ぎ目の石の階段一段目で転落するかもしれません…。

段々畑を支えている石壁も石をただ積んだだけのもの(乾式)なので、毎年どこかしらかが崩れ壊れたりするらしく、その畑の下に民家がある場合など、町から直すようにという指導がくるとの事。で、当然直すわけですが、それも全て自費、補助金は一切ないそう。この修繕費だけで毎年数百万がかかるといってました。岩山と畑の混在した景観そのものが、ヴァルテッリーナの自然と人が共生している証であり、彼らが守ろうとしている伝統、文化はそういったことにも反映されているのです。

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当主イザベッラ、僕が知るイタリア人の中でもピカイチの性格美人。メールとかで書く文章の表現からして、良い人オーラ出まくり。で、肝心のワインはというと・・・むちゃくちゃ美味ーーーーい!!!!!!!!

そしてここまで手間隙がかかっていることを考えたら、値段も良心的としか言いようがありません(そこらへんのバローロと比べれば歴然かと)。本当に本当にびっくりしてもらえると思います(なにしろ僕が腰抜かすくらいびっくりしたんですから)。

すごーーーい長くなっちゃいました・・・。続きも頑張りマース。

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