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2023-05-29

ヴィナイオッティマーナ2022【造り手セミナー】 パーチナ

①セミナー動画 (質問コーナー|00:00~)

ヴィナイオッティマーナ2023 P8 DAY2に行われたセミナーの様子です。今回来日したのはトスカーナ州 シエナ県のパーチナより、当主のステーファノとジョヴァンナ。4代続くワイナリーになり、ブドウを栽培しワインを造るだけではなく、森を残し、開墾した畑でオリーヴや穀物・豆類等様々な作物を育ています。

②造り手紹介

パーチナ の造り手紹介は未収録のため、詳しくはこちらをご覧ください。

③造り手への質問と回答

Q1. 40~50年程で、ブドウの樹を抜いてしまうとお聞きしたのですが、本当何でしょか?そうすることの理由などお聞きしたいです。(00:00~)

A. ブドウの樹を抜くことは本当に自分たちにとって悲しいことで、何年も一緒に過ごしてきた家族のような存在の命を奪うということになるので、身を切られるよな思いです。ただ、これには理由があり、ジョヴァンナのおじさんが第二次世界大戦後の1950~1960年ぐらいにブドウを植えた場所が、今にしてみるとブドウの栽培に不向きな場所だったのです。僕たちの持っている丘陵地帯の中でも比較的に下のところで湿っているのですね。そういった理想的でない場所ということもあって抜くことを決意しました。また、もう一つの理由としは、ブドウの根を媒介して感染する病気によって死んでしまった樹の周りが放射状にどんどん死んでしまったことです。特に下の方に植えていたブドウの樹はそれがすごく起きてしまい、止めてあげるには1度リセットしなければならず、既に根っこが感染してしまったブドウの樹を抜くことにしました。
すぐに抜くということではなく、理想的でない場所からできるだけ僕たちが思っている理想的な場所へ移すために1996~1997年ぐらいからブドウ畑を作っていますが、そこのブドウがある程度生産体制に入って、ある程度良くなった段階で理想的でない場所のブドウの樹を抜いて処置をしました。
今は、死んでしまった樹が出てきてもその区画全体を抜くのではなく、新しい方法を採用しています。垣根仕立てで一列に並んでいて、トラクターで耕作できるように畑を作っていくわけなんですが、樹が死んで穴ができてしまった場所は、今は紅葉や桑の実といったあらゆる果樹を植えています。一つの畑の中で生物多様性であったリ植物多様性を実現するような環境を作っています。ブドウの樹が根を媒介して感染する病気になって死んでしまったとしても、他の果樹には影響はありませんし、また、ある病気が蔓延するということは何かしらの自然界の調和が崩れる時だと思うのでモノカルチャーではなく、色々な植物を共存させることで、一つの区画の中で表現することでそういった病気が減るのではないかと思います。また、ここ最近、暑い夏のシーズンが続いてるので、ブドウにも少し日陰を作ってあげるのもいいのではないかと思い、果樹を植えることを積極的に導入していることも悪いことではないのではと考えています。

Q2. 2009年からキャンティを名乗らなくなりましたが、そういった枠から出ることで、何かご自身たちの中で変化したことなどありますか?(09:29~)

A2. 実は、樽で熟成させる時、つまりボトリングする直前までは樽にはチョークで「キャンティ コッリ セネージ」2016年とか2018年等と書いてあります。
つまり、いまだに名乗ろうと思えば名乗れなくもない状況でやっているんです。ある意味僕たちにとっては相変わらずキャンティコッリセネージだという気分でやっています。ボトリングする際にあえてキャンティというDOCGから外してもらってIGTという格付けでボトリングしています。なぜかというと、キャンティであったり、キャンティ クラシコ、キャンティ コッリ セネージなど全部そうだと思いますが、原産地呼称が実際に始まった時に掲げていた理念がどんどん時代を経るごとに変化し、どんどんイージーに売れるものであったりだとか、マーケットが要求しているものを造っているとか、どっちにしてもより安易な方向へ行くようになった気がしたんです。そう言った時に僕たちとって居場所がなくなったというのがあって、DOCGから出ることにしたのです。

本来であれば、その元々あったその土地を、そのテリトリーを体現するものであったり、そのヴィンテージを余すことなく表現しているものが、そのゾーンを体現するものこそ、その土地の名前、そのゾーンにつけられた名前で呼ばれるワインだったものがそうでなくなったのです。

僕たちのワインが、土地を代表する名前を名乗れなくなったということについては一抹の寂しさというか残念さというものありますが、うがった言い方に聞こえるかもしれませんが、キャンティである以上に私たちはパーチナであることがはるかに大切だと思い、今は自分たちの造る代表的なものについてはワイナリーの名前でありその土地の名前である「パーチナ」と名乗っています。ただ、これが意味することはずっとそうかということではなく、いつの日か、本来ワインが表現すべき原産地呼称を管轄している偉い人たちに「そうだ、自分たちは本来そういう形で組織を始めたんだ。」と気づき、僕たちのような造り手こそ、その土地を表現する造り手だなと彼らの方から近づいてきてくれて、僕たちにだけでなく、僕たちと同じような考えでワイン造る人たちが増えれば原産地呼称のあり方が変わったとしたら、その時にもう一回自分たちもキャンティ コッリ セネージと名乗ることができたらば、自分たちにとって本当にハッピーな瞬間だと考えています。

④まとめ

原産地呼称というある意味決められた枠組みの中でワインを造ることの窮屈さから抜け出したこと、そういった枠にとらわれない姿勢・意思を彼らから強く感じましたし、原産地呼称を名乗るということは必ずしも正しい選択ではないのかなと考えさせられました。(担当:嶋津)

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