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2007-02-20

パオロ ベア その2

還元話で話がそれましたが元に戻してと。
そんな感じでローマに住んでる当時の僕には変なワインという印象以上のものではなかったのですが、1999年の秋だと思うのですがローマの友達たちがベアのワイン凄く良くなったし、行ってみたらスゲー面白い奴だったと言うので行ってみました。Sagrantino1995、Rosso1997、Passito1995どれも素直に美味しい!その場で仕事することに決めて、注文も済ませ、請求書も書いてもらって日本に Faxで送りました。

で、現当主のジャンピエロとその人となり、ワイナリーの話などについて書こうかと思ったのですが、恐ろしくタイミング良く、我がローマ荘の盟友サノヨーコがとあるお店のメルマガで書いていて、とても面白い話ですし、無断転用を禁ずと特に書いてなかったのでそのまま使わせていただきます!(転用文は太字で)

今回は久々にグルッポ・ヴィーニヴェーリから、ウンブリアのパオロ・ベア(ワイナリー名がパオロ・ベア、当主はジャンピエロ)をご紹介いたします。彼のひととなりは非常に社交的、いつもおしゃれで、50歳を過ぎて気ままな独身を貫き、大の女好き。ヴィーニヴェーリメンバーの奥様方からは「いつも若々しいわねえ、手もきれい。きっと畑で働いていないのね」なんてからかわれたりしていますが、まあ当たらずも遠からず、といったところでしょうか。
彼らの畑では、お父さんのパオロと弟のジュゼッペが毎日畑で働いていますが、ジャンピエロは建築家としての顔もあり、またモンテファルコの市政にも関わっているため、実際の畑仕事を全てこなすことは不可能です。

グルッポ・ヴィーニヴェーリについての説明は、
>>> http://www.rakuten.co.jp/maruyamaya/695326/695479/704293/ 
をご覧ください。
◇手が荒れていることは、良い造り手の証なのか?
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こう話すと、まるで彼は名前だけで何もしていないと思われてしまいそうですが、それは違います。実はワインの品質を今のレベルにまで引き上げたのは、このジャンピエロなのです。わたしが彼らのワインを初めて飲んだのは今から8年前で、おそらくサグランティーノの1993年あたり(93年のSagrantinoなんてあったっけ?95からじゃない?太田談)だったと思いますが、当時はとにかく泥くさいワイン、という印象が強かった。
奥にはちゃんとフルーツが詰まっているけれど、なにせ臭くてざらざらしていた、と覚えています。
昔ながらのお百姓さんワイン、なんていわれるととても自然なピュアな味を想像してしまいますが、その“昔”がどの程度昔なのか、というのはかなり微妙なことです。100年以上遡れば、植物を、大地の力を敬い自分たちに必要な分だけを感謝の気持ちとともに分けていただく、という姿勢で畑に出ていたのでしょうが、それがちょっと昔、50年くらい前になると、化学肥料が開発され、除草剤や殺虫剤などもその弊害も知らずに有難がたがられ、楽をして大量の作物を手に入れる、という生産効率第一の考えが一般の農家にもはびこってしまいました。

わたしが暮らしていたシチリアでも、自家用の菜園であるにもかかわらず、作物は大きければ大きいほど、多ければ多いほどいい、と思い込んでいるひとたちばかりだったのに、驚いたものです。

ジャンピエロは、父親が変わり者で、そういった化学肥料などには見向きもしなかったという幸運に恵まれたとはいえ、それでも収量を制限する、凝縮度を上げるために摘果してしまう、という行為を受け入れさせるのに相当な説得が必要だったと話していました。パオロにしてみれば、こんなに沢山ぶどうが実ったのに、もったいない!という気持ちだったのでしょうし、実際畑で作物を育てているひとの立場としては、それはごく普通の反応なのかもしれません。

イタリアにも、3年ほど前から自然派のワインだけを輸入する業者もでてきて、アルティジャーノ(職人的)ということを強調するためにワイナリーのカタログを、彼らの両手をアップにした写真を並べて作っていたことがありました。

(そのしわだらけの、爪の間に土が詰まったところまで見せるために)が、わたしにはそのような考え方はあまり公平だと思えません。汗水たらして毎日畑で働いているひとのワインでも、その無知、無関心がゆえに、結果ワインには沢山の添加物が使われていることだってあるし、また逆に、ジャンピエロのような例もあるからです。また、偏見にもとらえられてしまいますが、一般に素朴なお百姓さんよりもある程度社会でインテリ層と呼ばれるような職業についている人
の方が、環境問題に関心を持ったり、農産物の安全性を疑問視したりする傾向が強いのも確かです(もちろん例外はあります)。

ジャンピエロは、他人とのコミュニケーション能力に長け、ヴィーニ・ヴェーリの中でも広報、外交の仕事を担当して活躍しています。そういう彼の特徴が、消費者の立場に敏感で「ひとりよがりにならないワイン造りを目指す」という態度にも表れており、専門家・素人の区別なく、彼らのワインを飲むひとの意見を非常に重要視します。

その一方で、どんなに有名で人気が出たとしても、それが彼の目指すところでない場合には断固として相手にしない強い態度をとることもできる、バランスの良いひとでもあります(イタリアでは6年ほど前にカプライをはじめとするモンテファルコのワイナリーが一躍脚光をあび、それによってサグランティーノブームが起きました)。そういった意思の強さ、自分たちのワイン造りへの信念などのほうが、ゴツゴツの手よりも、ワインの質を物語ってくれるのではないでしょうか。
以上MARUYAMAYAメールマガジン”ほぼ日刊まるやまや”より

とまあこんな感じで、畑での実務(労働、汚れ仕事)は父パオロと弟ジュゼッペの担当で、彼は醸造担当といった役割分担でしょうか。建築家という事もあるのか、ことのほかセンスが良く、彼のワインのラベルは毎年彼が書いていて、その年がどんな天候だったかとか、セパージュ、醸造法、そして最後には”一切の清澄作業を行っていないので、時と共に澱が出ますが、これはワインが生きている証拠なのです!”と書いてあったりします。
次回はこの地域で見られる、そして他の地域ではそう見ることのない畑の光景の話、ジャンピエロの話の続き、彼とクインタレッリ、そしてウルトラワインセラーの話を!

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