Prof.VinaiotaによるMV近代史(おそらく完成)
マッサ ヴェッキア近代史
1999年 比較的天候に恵まれた年。Poggio a’ Venti 1999はあまりにも堅牢な構造だったため、リリースを通常より2年遅らせることに。
アリカンテ100%で造ったTerziereはこのヴィンテージが最後。
サンジョヴェーゼからヴィン サント(オッキオ ディ ペルニーチェ)を造った(1000kgのブドウからハーフボトルで200本!普通にポッジョ ア ヴェンティを造っていれば1000本分です…)。
我らがアイドルファブリーツィオ、ド天然です。
ヴィンサントを熟成させる樽。伝統的な、ヴィンサント用の樽は数種類の木(栗、桑、桜、アカシアなど)の板を交互に組み合わせて作る特殊なもので、それを作る職人もほとんどいなくなってしまったそうです。
2000年 6月の早い時期から暑く、十分な日照と適度な降雨に恵まれた。この年は収穫時も雨が少なかった。
アリカンテを使って、醗酵中に酵母がどこまで高温に耐えられるのかを実験(木製の開放式醗酵の周りに毛布のようなものを巻いて温度が下がらないようにし、大量の酸素を送り込むために頻繁なピジャージュを行った)をした。その結果はリリースされてないことから推し量っていただけると…。しかし!この実験が後に、あの圧倒的な飲み心地を誇る現在のMVスタイルの赤の醸造方法に至る布石となるのでした!
2001年 春先に霜がおり、膨らみかけた芽の半分以上が駄目になってしまった。その後は天候に恵まれ、ワインの出来は素晴らしいものとなったが、遅霜がたたり、ワインの生産量は激減(例年の2-3割…つまり7-8割減!です)。
2002年という例外を除き、セトリング(前清澄作業のことで、プレスしたモストを一晩静置し、土の粒子などの沈殿物除去する)をやめる(その為か、2001年以降の彼らの白ワインの色調は濃くなりました。生産本数800本!!)。
カベルネ100%だったLa fonte di Pietrarsaがこの年からメルロー主体(メルロー70%、カベルネ30%)になる。
Terziereにマルヴァジーア ネーラが混醸されるようになる(アリカンテ75%、マルヴァジーア ネーラ25%)。
遅摘みしたソーヴィニョンで造られるPatrizia Bartoliniの醗酵が止まらず、ほぼ辛口のワインになってしまう(アルコール度数15%)。味わいのバランスが悪いと判断し、4年リリースを遅らせる。
2002年 イタリア全土で雨が多かった、厳しいヴィンテージ。彼らの畑でも気温が上らず湿気が多く、結果病気やカビでブドウの収量が激減してしまった(例年の3-4割程度)。白ワインArientoに初めてマルヴァジーアが混醸される(生産本数1000本)。
収量が少なかったこともあり、サンジョヴェーゼとアリカンテを混醸しPoggio a’ Venti 2002とした(S.90%,A.10%)。
自分の土地で造られるワインには、リリース当初、飲み心地が欠けている(果実味が豊か過ぎて硬い)と常々思っていたファブリーツィオは2000年の教訓を活かし、新しい醸造方法に挑戦する。それまでは頻繁で若干暴力的なリモンタージュをしていたが、この年からは醗酵が始まり、果帽が浮き上がってきてもすぐにはリモンタージュを行わずに放置することに。醸造学的にはタブーとされていますが、嫌気的な微生物は嫌気的な環境で、好気的な微生物は好気的な環境に置いてあげる事で、最速で各微生物の個体数を増やしてあげることができ、そこにはバクテリアと呼ばれる微生物もいるわけですが、彼らにも少々活躍していただくことでワインに軽さ&飲み心地を与えることができると考えたのです!
トスカーナでもより南部に位置し、海に程近いマッサ マリッティマで産するブドウは、内陸のモンタルチーノやキャンティに比べると果実味が豊かでエキス分も強くなるのですが、それがある種の野暮ったさにもつながってしまいます。自分の生まれ育った土地の個性を洞察し、そこに自分なりの解釈を加えつつ醸す・・・これがファブリーツィオが知性派農民アーティストたる所以でしょうか。
2002年以降、全ての赤ワインはこの手法で造られていますが、果帽を放置する期間に関しては年、ブドウによっていろいろ変えています。
この年のアレアーティコは醗酵が進まず、廃棄を考えていたが06の醗酵が活発なアレアーティコのモストを添加したところ、醗酵が再び始まり、2008年にボトリングした。
この年のメルローとカベルネのワインは、ボトリングするに値しない酒躯であると判断し、以前から考えていた、ワイナリーでの計り売りによる直販用※のワインにすることにしたのですが…続きは2003年で。
※マッサ ヴェッキアは当時ファブリーツィオとパトリーツィア夫妻2人だけで運営していたワイナリーで、国内の酒販店とレストランと直接取引すると仕事が煩雑になりすぎるため、イタリア中をカバーする2軒のディストリビューターに国内の販売を任せていた。仕事的には楽になるが、当然の事ながら彼らのワインの流通価格は高くなり、それを気に病んでいたファブリーツィオが2005年に、2002年のメルロー&カベルネの赤と2003年のロザートを、隔週の土曜日、完全予約制での計り売りを始めたが本当に一部の熱狂的なMVファンにしか利用されず失敗に終わる。
2003年 ヨーロッパ全土が歴史的な猛暑に見舞われた年、ひどく乾燥し極端に雨が少なかったため、ブドウの成熟が遅れる事態に。
マルヴァジーア ネーラとアレアーティコ(多分アレアーティコも使ってたような…)で直販用にロゼワイン(Rosato)を造ることに。ロゼと言っても色合いがロゼ色なだけで、除梗そしてプレスし、モストだけで醸造を行った“白ワイン”的ロゼワインでした。MVのワインは何でも絶対持っていたい僕のたってのお願いで、96本だけボトリングしてくれました…。
この年からArientoはBianco、Poggio a’ VentiはLa Querciola、la Fonte di PietrarsaはRossoに改名。
ファブリーツィオ曰く、2011年現在までに彼が仕込んだワインの中で個人的に最も思い入れのあるワインがLa Querciola 2003だそうで、このワインを仕込むまでは、モンタルチーノの、自身のスタイルをワインに強く反映させることに成功しているG.S.氏(特に90年代前半のものを念頭にしていると思われます)に対して憧れというか羨望みたいな感覚を持っていたらしいのですが、このワイン以降興味がなくなったとのことです。決してG.S.氏より凄いワインを造っちゃったからと思っているのではなく、彼へのリスペクトは常に持ちつつも、自身のスタイルを確立できたので、憧れのような感情はなくなった・・・ということなのだと思います。
より酸に欠けるブドウ、メルロー&カベルネではさらにリスクを冒し、丸3日間果帽に触れずに置き、2003という“重いフルーツ”を搭載したワインとしては異例なほど軽く感じるワインを仕込むことに成功。しかしながら、その軽さを与えている揮発酸のニュアンスがそこそこに目立ち、造ったはいいが全生産量を売り切る自信もない・・・ボトリング前に考えるファブリーツィオ。ふと横を見ると、売れ残った2002の計り売り用のメルロー&カベルネが。痩せた02には03の果実味が、03の揮発酸を02が和らげてくれるのでは…ということで、えーい混ぜちゃえと50%-50%でブレンドする、売り方も売り先も何も考えず…。
2006年に訪問した時、「イザートォ(僕の事をこう呼ぶ)、そういえば君に飲んでもらいたいワインがあるんだよぉ。」とこのワインを飲ませてもらい、生産量の大半(3000本強の生産量に対し2600本)を僕が引き取ったのがV.d.T.Rosso(ヴィーノ ダ ターヴォラ ロッソ)になります。
Patrizia Bartoliniのラストヴィンテージ。
どちらも2011年4/24撮影。ブドウの生育が例年よりも2週間くらい早いとの事。ブドウが沢山なってますね。これは多分アレアーティコ。
2004年 少し雨が多かったものの、全体的にバランスの良い気候だった。
2003年までPatriziaBartoliniに使っていたソーヴィニョンをビアンコにブレンドし、生産量を上げることにした。
Rosatoにはマルヴァジーアネーラとアレアーティコにカベルネを使用(それぞれ45%-10%-45%)。2003年同様に白ワイン風の造り方のロゼワイン。
メルローにはマッサ マリッティマという土地を表現しきる力がないと考えたファブリーツィオはこの年を最後にRosso(メルロー主体+カベルネ)の生産をやめる。
2005年 イタリアの北部や中部で雨の多かった厳しいヴィンテージ。トスカーナでも確かに降雨は多かったが、晴れ間も多く並みの年となった。
この年でソーヴィニョンが植えられている、唯一の賃借していた畑の契約が切れる。この年もソーヴィニョンはBiancoにブレンド。
メルローと違い、カベルネはマッサ マリッティマという土地と融合し、独自の個性を発揮できるブドウと確信し、2000年以前のLa Fonte di Pietrarsa同様に単体で醸造する。
より高い飲み心地を与えるべく、Rosatoにも赤ワインと同じ醸造法を採用することに。除梗・プレスし、木製の開放式醗酵槽に皮や種ごと入れ、醗酵が始まり果帽が浮き上がってきてからもしばらく放置(18-24時間)し、それぞれの層(好気的な微生物は果帽上面で、嫌気的な微生物は果帽とモストが触れているところで)で微生物を十分に培養したあと圧搾、再び醗酵槽に戻しアルコール醗酵を完了させたのち、樽へと移し2年の熟成の後ボトリング。
皮と共にアルコール醗酵の初期段階を行い途中で圧搾するという点で、醸造学的に云うところの“ロゼワイン”に正式になったわけだが、この年からメルローを主体にしたために“ほぼ赤ワインな”ロゼとなる(メルローの持つ色素は液体に溶融しやすい)。当初はアレアーティコのパッシートを造る予定だったが、天日干しを始めて数日後から湿度が過剰に高くなり、このまま干し続けるのは危険だと判断しすぐに圧搾、そのモストをアルコール醗酵を終え樽に入っていたRosatoに加える。2006年春に試飲した時点では甘かったのですが、ロゼワインとは思えないヴォリュームに奥行き…。うちの息子の生まれ年とということもあり、生産量の実に3分の2を購入、そのうち半分をマグナムに詰めてもらいました。
(Merlot65,MalvisiaNera30,Aleatico5%)
2006年 2005年には生産しなかったアレアーティコのパッシートを生産。そのため、Rosatoはメルロー60、マルヴァジーア ネーラ40%のセパージュに。某日本のインポーターが買った分以外の1500-2000本のRosato2005を売るのに大変な苦労をしたことと、2009年の春のボトリングの段階で明らかだった、2008年の悲劇的な生産量を鑑みて、2回に分けてボトリングすることに(2010年に売れるワインを取っておくために)。生産量の半分を樽でさらに寝かせることにし、2回目のボトリングは2010年に行われた。
2007年 山奥(舗装されていない険しい山道を7kmほど登ったところ)に建設中だった家が完成次第、多種の家畜・家禽を飼い、より自給自足に近い生活へシフトすることを計画していたファブリーツィオは、パトリーツィアと2人で全てのワインを管理するのは無理と考え、外来種であるカベルネとメルローのブドウを友人のスイス人に売却してしまう(醸造に関するアドヴァイスもしつつ)。
この年は、ヴェルメンティーノの収穫量が若干少なく、マルヴァジーアが多かったため、それまでやってきたように混醸してしまうとマルヴァジーアのアロマがヴェルメンティーノの個性を覆い隠してしまうのではと考え、別々に醸造、熟成を行った。後に当主となるフランチェスカの希望から、ブレンドせずに別々にボトリングされることになり、マルヴァジーアはBianco、ヴェルメンティーノはArientoという名前でリリースされる。
Rosatoにはマルヴァジア ネーラ(55%)とアレアーティコ(45%)を使用、2005,06と同様の醸造法を採ったがメルローが入っていないため、よりロゼワインらしい色合いに。
2008年 春先の長雨の後に急激に暑さが訪れ、ファブリーツィオもそれまで体験したことがないというレベルのオイディウムが発生、この時点で8割以上の生産量を失う。その後の天候には恵まれたが最終的に生産できたのは、Rosato(セパージュはカベルネ&アレアーティコ、生産量800本!)とLa Querciolaのみ。Biancoは200リットルしか生産できなかったため木樽にも入れられず、結局Bianco2009の樽熟成時に目減りした分の補充に使われてしまう(ヴィナイオータが独占するはずだったのですが、09の生産量も少なく、こういった結果となってしまいました…)。
この年からパトリーツィアの娘、フランチェスカが本格的にワイナリーの仕事を手伝うようになる。
フランチェスカとファブリーツィオ
2009年 ファブリーツィオ、ワイナリーをフランチェスカとファブリーツィオの実現したいプロジェクトに賛同したスイス人3人に売却、そのお金を自給自足の為に必要なもの全般の購入に充てる。彼自身は、ワイナリーのアドヴァイザーという立場に退く。
狼のデザインの入ったラベルは、マッサ ヴェッキアがフランチェスカ所有となった2009年春以降にボトリングされたものに使われています。
フランチェスカがワイナリーに参画し始めた2008年、ファブリーツィオはマッサ ヴェッキアというワイナリーのワイン生産における、ほぼ最終的な形を見出します。それは、
Bainco:ヴェルメンティーノとマルヴァジーアのブレンドもしくはマルヴァジーア単体
Ariento:特別な年のみに造る、ヴェルメンティーノ100%のワイン
Rosato:マルヴァジーア ネーラ、アレアーティコを軸に時にはカベルネを混醸
名前未定:メルロー主体(時にカベルネを混醸)、マセレーションの期間も短くした軽くサクサク飲める赤ワイン
Poggio a’ Venti(仮名):Fornaceフォルナーチェという名前の、他の畑に比べると非常に標高の高い(400m)にある畑のサンジョヴェーゼで、La Querciolaとは違う表情・個性を持ったワインを造ることを目標としています。ファブリーツィオのことですから、醸造方法も若干変えてくることもあるかもしれません。
La Querciola:クエルチョーラ(区画名としての)のサンジョヴェーゼとアリカンテで造るワイン
Passito:アレアーティコのパッシート
というもので、この考えに則して2009年は醸造を行うことにしましたが、問題発生。Rosatoの揮発酸が異様に高くなってしまう。当初は、フランチェスカに少々文句じみたことを言ってたらしいのですが、「ファブリーツィオ、そうは言うけど私、ワインに携わり始めたばかりなんだけど…。もう少し頻繁に山から下りて来てくれてもいいんじゃない?」。フランチェスカ、君が正しいっ!
なぜ揮発酸が高くなったと思うのかをフランチェスカに聞いたところ、「ファブリーツィオも理由が良く分からないって言ってるわ。もしかしたら、ブドウの樹や酵母たちがファブリーツィオではなく、いきなり私に世話されることになったから、へそ曲げちゃったのかもしれないわね!それは冗談としても、今回のことは天から私に下された試練だと思って受け入れることにしたの、自然が相手なわけだし。」。当時26歳だったと思うのですが、この達観ぶり・・・ビビリました。
で、軌道修正を図るべくこういう措置が取られました。
軽い赤ワイン用に仕込まれていたメルローの半量をロザートにブレンドし、ワイン中の揮発酸の割合を減らし、しばらく寝かせることで多少まろやかになってくれることを期待してみたのですが、2011年春時点ではリリースは難しそう(つまり廃棄処分されそう)とのこと。
フォルナーチェの畑で獲れたサンジョヴェーゼはまだ樹齢が若いこともあり、ワインとしては美味しいが、La Querciolaと渡り合えるような表現力がないとファブリーツィオは考え、残った軽赤メルローとブレンド、2011年春にボトリングされました!言わずもがなですがひじょーーーに美味しい!!メルローの植わる畑の名前Beruzzoとこのワインに使用したサンジョヴェーゼ植わる畑FornaceからBeraceという名前になりました。V.d.T.Rossoのようなお値段でリリースされる予定(日本入荷は今冬でしょうか)ですのでこちらもお楽しみに!
2005年当時のFornace(フォルナーチェ)、サンジョヴェーゼが植えられています。
で、このあとの記事で、豊かな半自給自足生活の一端をご紹介、そのまたあとの記事でなんでこんな近代史を書いた理由みたいなものに関してご説明しようかと・・・。
【新入荷】2024年3月その1(Massa Vecchia, Aia Vecchia,Tom Shobbrook, Il Colle) 【新入荷】2023年4月その2(Testalonga,Massa Vecchia,Aia Vecchia,Panevino) 【新入荷】2022年4月その3(Massa Vecchia,Domeine des Miroirs)と鏡氏から皆さんへ 【新入荷】2021年3月その2 (Daniele Piccinin, Bressan, Massa Vecchia, Aia Vecchia, Lucie Colombain, Domaine des Miroirs) 【新入荷】2020年4月その3(Case Corini、Davide Spillare、Massa Vecchia、Sabadi)