造り手紹介 カーゼ コリーニ その2(2015.2筆)
ようやく最後まできました!!!!!(涙)な、長かったです・・・・・・・・・・・。
如何せん文才がないので、気合いと魂を前面に押し出さないとそれなりのものは書けず、押し出したら押し出したで消耗も激しく、ここ2-3ヶ月の間、考えるか、書くか、寝るかしかしてない気がします…。記憶を辿り、過去に書いた文章を読みながら、造り手のことを書いているわけですが、面白いことにそれらの行為が僕自身を見つめ直すことにもなり、様々な思いや考えを整理し、それらをより誤解なく&分かりやすく伝えることや、ヴィナイオータとして僕たちが目指しているものを明確にするのにも役立っていて…。
1人でも多くの人に僕がワインから感じている数々のエモーションを伝え、それらを共有したいと思っていますし、そして共感できた時の喜びを知っているからこそ、苦しい言葉を探しの旅にも勇んで出かけられているのだと思います!! なんにせよ、父親&夫失格な感じの状況を許容し、それだけに専念できる環境を与えてくれた家族には感謝してもしきれないです!!!
ではではオオトリのカーゼ コリーニ行きます!!!
ロレンツォ&グイード!
残念ながら、体調が万全でないということで、我らが博士、ロレンツォの来日は取りやめとなり、息子グイードだけが来ることになりました。すっとぼけた人なので、どういう状況なのか全く教えてくれません…。ロレンツォに会う事を楽しみにしていた方も沢山いらっしゃるのをFBでも見かけていましたので、非常に申し訳ない気持ちでいっぱいです。発表が遅れてすみません…。次回はちゃんと来日してくれることを期待しましょう!!!
ワインも色々飲んでいて、造りの現場もたくさん見てきていて、(ワインに対して)明確なヴィジョンを持っていて、そして何よりもワインが好き過ぎる奴…世間的にはこんな風に認識されているからなのか、しばしば、「オータさん、もう自分でワイン造れちゃうんじゃないんです?ていうか、どこかで造ってみたいとか思っているんじゃないんですか??」などと言われることがありますが、とんでもない!!!
もちろん興味がないと言ったらうそになりますし、やってみたいなぁという気持ちも多少はあります。ワイナリーの家の子供として生まれてきたわけではないですから、ある意味自由に考えることができますから、場所、ブドウなど、妄想するネタには事欠きません。
で、もしも万が一ですが、ブドウを栽培し、醸すと決めたのなら、真っ先にロレンツォに教えを請い、最低でも1年、彼と一緒に過ごし、季節や状況に応じた畑での作業を見せてもらうと思います。
マッサ ヴェッキアのファブリーツィオ、パーネヴィーノのジャンフランコやヴォドピーヴェッツなどは、本当に偉大な農民なのですが、彼らが積み上げてきた知恵はある意味、彼らの持つ土地、彼らのおかれている気候環境下で、彼らの栽培するブドウに対してのみ有効であれば良いわけです。
それに対してロレンツォは、持続可能な農業のありかたを、地質学という観点から研究してきた人で、そのライフワークの実践の場として、家業でもあったブドウ栽培とワイン醸造をしてきたというのは3年前の記事にも書いた通りです。ですので、どんな質問疑問にも、彼の頭の中の膨大な数の引き出しから、適切かつ明快、そして理論的で非常に分かりやすい言葉が返ってきます。
調和こそ最も大切な事だとロレンツォは言います。
彼の言う調和とは、畑の中でなら自生する草花、微生物など、そしてもっとマクロの視点でだと、畑の中ないし、隣接する場所のブドウ以外の樹木(森林)やブッシュ(低木)、他の作物の畑、牛などの動物の存在などを指しています。
環境がモノカルチャー化しすぎると、調和が崩れ、そこから病害虫などが蔓延しやすくなるそう。では、その調和を維持するためには…彼が実践していることを列挙します。
微生物叢(そう)の調和を壊したくないから、トラクターなどの機械を畑に入れず、昆虫や小動物の棲みかとして畝間の草を刈らないし、耕しもしない。畑の周りの低木類は、小鳥(虫の数調整役!)にとって格好の棲みかだから、そのまま残す。
偉大なワインは偉大なブドウから、偉大なブドウとは、深く、調和のとれたブドウで、高樹齢の樹がもたらす。樹齢が高くなると、生るブドウの数は自然と減り、1房に生る実の数も減り、粒と粒の間に隙間ができやすくなるので、湿気が溜まりづらくなり、結果健全なブドウができやすくなる。
ブドウ樹に、より長く命を全うしてもらいたいのならば、農薬の類は使わないに越した事は無い。そして剪定も、大々的な外科手術的なものでなく、切り傷程度のものとすべき。(樹木化した部分を切ることをできるだけ避け、枝を落とすだけの剪定にとどめる)
夢にもヒトが“土づくり”をできるなどと思わない事。土は、大地がもたらすもの。とある豊かな大地を、人が畑として利用するというのは、自然銀行口座内にある元本を切り崩すことに他ならない。元本は、ある程度大きな額ではあるが、利子の金額よりも人が消費するスピードの方が速く、必ず元本割れし、遅かれ早かれ残高は尽きる。人が心掛けなければいけないのは、“できるだけ浪費をしないようにして、残高ゼロの日を遅らせる事”。残高がゼロ近くになったら?利子の積み重ねで元本に戻るまで、口座をとある期間(数年~数十年??)休ませる。
調和を意識した畑の維持ができたのなら、ブドウ樹は長生きし、莫大な手間と費用のかかる、頻繁にブドウ樹の植え替えをする必要がなくなり、その結果リアル元本も切り崩さずに済む。
調和がとれていれば、農薬にも頼らずに済む(彼の場合、ボルドー液を年2-3回撒くらしいのですが、ピエモンテ州常識で言ったら、ゼロに等しい回数です)。だから、すべて手作業と言っても、かかる人件費はそこそこに抑えられる。機械を導入すれば、効率は上がりますから、結果の絶対的な量も増えるかもしれないが、その分エネルギー(ガソリンなど)もたくさん消費しなければいけない。機械への投資額の元を取ろうと思って、たくさん使えば、壊れて修理代もかかり、機械自体の寿命も短くしている…。
沢山投資して沢山の収入を得る事と、ミニマムの投資(それもヒトへの!!!)で、それなりの対価を期待できるプロダクトを作る事。果たして、どちらの方が”効率的”なのでしょうか??そしてどちらのほうが”持続可能”な考え方なのか???
5年前に書いた記事(こんな文章を書いたことをすっかり忘れてました。5年前の自分を褒めてあげたいです!笑)にもありますが、ロレンツォが僕たちに伝えたい事とは、ワインの味わいの素晴らしさなどというミクロな話ではなく、”持続可能な”農業の産物であり、圧倒的な個性&品質を持つ彼のワインをもってして、”持続不可能な”現代農業&消費社会&人類に警鐘を鳴らすという、マクロの視点に立った意見なのだと思います。
まさに「木(ブドウ樹=畑)を見て森を見ず」ってやつですね??
「尊いものだから、守りましょう!」というよりも、「尊いですし、なおかつ美味しいものもできちゃうんです。だから守りませんか?」と言うほうが、興味持ってもらえそうですものね(笑)。
2009年秋の風景。粒が小さいのに種があるのが、疎ましかったのか、ワイン用のブドウを好んで食べなかったうちの子供達ですが、ロレンツォのブドウはめちゃくちゃ食べてました!!
バルラ、右がロレンツォの、左が別の所有者。もともとは、1人が所有していた畑でしたが、分割して売却してしまいます。ですので、樹齢的には一緒なのですが、右側の畑には歯抜け(ブドウ樹が死んでしまったため)がたくさん、そして地面も低くなっているのが分かりますでしょうか?除草剤を多用し、草が生えていない状態が続いたため、大地の保水力が弱まり、土壌が下の方に流出してしまっているのです!
ブリッコでブドウ苗植えもしましたin 2011!