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2015-01-15

造り手紹介 ダヴィデ スピッラレ その2(2015.1筆)

よくよく考えてみると、2011年11月くらいを境に日本での認知のされ方(その結果として、飲まれるワインの量)が劇的に変わったヴィナイオータ取扱いの造り手、ヴォドピーヴェッツやラディコン以外にも沢山いますね(笑)。

2014ヴィンテージでプロとしてはなんと9仕込目(アマチュア時代もあるんです!)の27歳、ダヴィデ スピッラレのこの3年での進境著しい事といったら!!

前回来日時に僕が書いた記事を読むと、「大志ある、だけどいつくじけてもおかしくない若者を応援してしてあげよう!!」的なメッセージにあふれた文章になっていますが、3年後の現在の彼の活動を見るにつけ、彼が僕の予想を遥かに超えたスピードで成長していることに驚きも感じていますし、いい意味で期待を裏切られたことを本当に嬉しく思います。

この3年でどんなドラスティックな改革を進めたかを列挙しますと、

・基本自ら栽培したブドウは自家醸造することに(満足のいく出来じゃなかったときには一部を売るかもしれません)
・栽培面積も徐々に増やす
・セラーを改装し、より作業しやすい環境にする
・可能だと判断した際には、酸化防止剤完全無添加でのボトリング

セラーへの投資は、栽培面積を増やし、自分が栽培したブドウを全て自家醸造する、つまりより多くのブドウをセラーに効率良く運び込むために必要だったからしたわけで、それは親の理解を完全に得られたということも意味しているのかと。そして醸造面においても、よりリスクを冒したことに挑戦し始めたのも、彼自身が覚悟を決めたこと、いろいろな事で確証を得た事などが影響しているのではないでしょうか。

3年前は、サッサイアと比べるとゆっくりと売れていた感のあるビアンコ ルーゴリですが、2011年ヴィンテージが酸化防止剤無添加にも関わらず出だしから抜群の安定感があり(安定感という点では、サッサイアの酸化防止剤なしVer.以上だったのではないかと)、圧倒的な飲み心地であったことから、まさに飛ぶような勢いで売れ、それが現在の彼のワインの売れ行きや認知度のきっかけとなったのだと思います。

造り手側の覚悟や行動が前のめり気味になったのと、売れ行きやマーケット内での認知度が上がる(マーケット内に彼の居場所ができる、とも言えるかもしれません)ことがシンクロしているということは、お互いに影響を与え合っている(有機的に関わり合っている)ということに他ならないということで…実に素晴らしいことじゃありませんか!!!!

今回は、お母さんと一緒に来日です。彼女にも、ダヴィデが日本でどれほど愛されているのか、目に物見せてやりましょう!!!!!

収穫前の、ダヴィデのお爺さんが植えた樹齢70年を超える区画、ヴェッキエヴィーニェの前で

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左からダニエーレ ピッチニン、ダニエーレの奥さんカミッラちゃん、ダヴィデ

ダニエーレは、このヴェッキエ ヴィーニェで獲れるブドウは、ピーコのブドウよりもテンションが高いのでは?と言っています。

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