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2025-03-04

ヴィナイオッティマーナ 2024 Vol.2【造り手セミナー】 レ ヴィニェッテ


P4_DAY1 12月8日
造り手:Giuditta Previtali (ジュディッタ プレヴィターリ)
通訳:太田 久人
担当:豊田 直生

①造り手紹介 (00:00~)

2024年11月より新規の取り扱いが始まったレ ヴィニェッテのセミナーです。
今回は当主のジュディッタが初来日となっています!
ジュディッタとルーカですが、もともとロンバルディア州の北イタリアで一番美しい街と言われているベルガモという街の出身で、同日にセミナーをしていた、サンタマリーアのマリーノ&ルイーザ夫婦が同郷だったこともあり、バカンスや収穫の手伝いで二人の元を訪れる内に、トスカーナという土地に魅せられて、2019年にアミアータ山麓のセッジャーノのという小さな町の郊外に小さな畑を借り初めて、ワイン造りを始めたワイナリーです。

ヴィニェッテの畑があるエリアは一般的に名醸地と言われている二つのエリア(モンテプルチアーノ、モンタルチーノ)からは少し離れた場所にあるのですが、実はモンタルチーノよりも1000年以上前にもブドウ栽培&ワイン醸造が行われていた場所だそうです。

畑があるセッジャーノの郊外のカステッロ ディ ポテンティーノ渓谷は、海から流れ込む温暖な大気とアミアータ山の恩恵もあり、農業をする上では理想的な微気候のある地域です。パルメントと呼ばれる巨大な石灰石の塊で作られた、石性のワインの発酵槽がそこかしらにあるそうで、今から3000年ほど前からからエトルリア人がこのエリアでワインを造っていたようです。ただ、斜面地なので斜面を切り拓いて畑を造るしかなく、ひとつひとつの区画は非常に小さく、なかなか機械が入れる畑も少なくかった為、他のモンタルチーノのようなエリアのように発展せず、今では栽培放棄がされている畑が多くあるようです。

そんな地域に二人は、6区間で合計 1.2haの畑を持っているそうで、それぞれの畑には樹齢40~90年の色々なブドウが植わっているようで、何の品種か分かっていないものもあるそうです。それぞれが小さな区間なので機械が入ることもできず、すべて手作業で管理していて、生産本数は2000~4000本とヴィナイオータの取り扱い造り手としては最小規模のワイナリーとなっています。ワイナリー名のレ ヴィニェッテは、“小さな(複数の)ブドウ畑’ということで、小さい畑をいくつも持っていることからその名前になりました。

Q1.なぜトスカーナの他の有名な地域ではなく、セッジャーノというエリアでブドウ栽培&ワイン醸造しようとしかのですか?

A1. まず一番の理由としては圧倒的にコストがかからないという点です。

例えばモンタルチーノでブルネッロを造るための畑を手に入れようと思うと1ヘクタールで億単位の値段がかかってしまいます。畑を手に入れるだけで非現実的な価格がかかってしまうので、そういう場所(モンテプルチアーノやモンテプルチアーノなどの有名な地域)で始めることは最初から考えていなかったです。

それに加えてサンタマリーアのマリーノからトスカーナにこういう素晴らしいゾーンがあると連れて行ってもらったのが、今の畑のあるエリアでした。そのエリアはある部分、ワインの商業の歴史の部分からは忘れさられた場所でした。

例えば私の畑は一般的な畑のように一つの畑や畝に同じブドウの品種が植わっているわけではなく、色々のブドウがごちゃ混ぜに植わっているような畑なのです。
それは昔、ワインが食べ物として重要だった時代に色々な品種を歯抜けに植えることでとある株に出た病気が同じ品種に飛び火するのを防ぐためのリスクヘッジであったり、ワインのテンションの様なものを上げるための品種と、安定した収穫量を約束してくる品種を混ぜて植えることで毎年ある程度均一なクオリティと量を約束するためにそのような形だったのです。

今の時代のように、とある味筋を狙ってワインを造られはじめたのではなく、かつてのワインや農業のあり方のようなものがそのエリアには残っていて、恐らくこういう事が本来大事なのではないかと思っています。

自然に囲まれた地域なので、自然に配慮をはらった農業をやるうえで理想的な環境だったことや、3000年前からワインが造られていたことは昔の人がその場所を選らんだ理由などがある中で、ワイン造りというものに新たな意味や自分のやりたいことを照らし合わせた時に、環境になじめたことや新たにやりたいことを見つけられたのが今の場所でした。

Q2. サンタ マリーアのマリーノ&ルイーザとは同郷ということで、深く交友があるとのことですが、2人にとってどういう存在でどのような影響を受けていますか?

A2.“(彼女の元旦那?の)”ルーカとマリーノの奥さんのルイーザがほぼ従妹に近いような親戚関係にあったので、昔から彼らのことは知っていました。それで2003年頃からバカンスなどでサンタマリーアに通うようになりました。それまでの子供が小さかった時期は私自身も食べ物に気を遣うタイプではなく、その辺りのスーパーで売っているような物を子供にも食べさせていたのですが、ルイーザの食にかける情熱のようなこういう風なものでないとダメなんでといった何かに大きな影響を受けました。

もう一つは自分の親族にアルコール依存症のような人がいて、アルコールに対して悪といった見方があってワインとは距離を置いていたのですが、それは別にアルコールが悪いことではないことや、食の大切さのようなものをルイーザからそれとなしに伝えられたことで、自分自身も食に関して関心を持ち、ワインも少しずつ飲むようになってきました。その時にルーカもワインが元々好きだったことや、マリーノの影響もあってか彼自身もナチュラルな造りをしたワインなどに好みなどがシフトしていく中で、自分もついていくような感じだったんですが、私自身も体に入っていく身体感覚も含めてそういったワインを飲むようになっていきました。

そういった影響を受けたこともあり、より多くの人に自分が見つけたこういう生き方が良いのではないかということを伝える為に、私の元々の生まれ故郷であるベルガモでルーカと一緒にオーガニックショップのようなものを始めました。その後、何年もサンタマリーアを通っていく中で、ルーカも遊びでもいいからワインを造ってみたいという気持ちがあったり、私もただ人に伝えるのではなくその生産の現場に携わりたいと思うようになっていき、そんな相談をマリーノにした時にオススメされたのが今の畑があるセッジャーノでした。

恐らくその当時はマリーノ自身もその場所が3000年前からブドウ栽培がおこなわれていたことや、未だに残っている樹齢の古い区画の在り方やそこで行われていた農業のかたちなど、そこまで深く知らなかったのではないかと私は思っています。ただ安い価格で古い樹齢の区画が手に入ることぐらいでマリーノとセッジャーノに行くことになったんですが、そこで色々なことを知ることになりました。

その辺りではこういった物言いがあります。”10m×10mぐらいの区画の畑があれば、おおむね一家を養える”。つまり、そこにはブドウを植えて、添え木代わりに他の果汁やオリーブなども植えて、ブドウとブドウの畝の間に小麦やほうれん草を植えたりすることなど、畑を複合的に利用した時にはそれぐらいの土地があれば一家が食べることに困ることなく生活できることがその地域で行われていた農業の形だと知りました。なので、私自身もただただブドウ栽培をするだけではなくて、そういった事も挑戦したいと考えています。

③まとめ

取り扱いが始まってすぐ、かつ初来日ということで、かなり緊張していましたがその中でも本当に細かい部分まで気を配っている姿が印象的でした。細かい所々に何気ない優しさに溢れており、そういった人柄がしっかりとした深い芯と柔らかい質感を兼ね備えた彼女たちのワインにもにじみ出ており、改めて「ワインは人」ということを認識させていただきました。(豊田)

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