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2023-05-19

ヴィナイオッティマーナ2022【造り手セミナー】モンテセコンド


①セミナー動画 (質問コーナー|03:41~)

ヴィナイオッティマーナ2022 P2 DAY1に行われたセミナーの様子です。今回来日したのはトスカーナ州の造り手、モンテセコンドの当主シルヴィオ メッサーナです。フィレンツェの市街地、キャンティクラシコの地域であるチェルバイアという町にワイナリーを構えます。

葡萄栽培農家だったお父さんの畑を継ぐ形で、ブドウ栽培とワイン醸造を始めます。また、モンテセコンドのブドウでワインを造る傍ら、地域の信頼のおける農家から、買い叩かれてしまうブドウを買い取り自らワインを仕込むという興味深いプロジェクトも行っており、sarfというシリーズを造っています。醸造に関しても、色々と試していてマセレーションの長さも毎年変えていたり、アンフォラで仕込むワインにも挑戦しています。

②造り手紹介 (1:09~)

モンテセコンドの造り手紹介、詳しくはこちらから。

③造り手への質問と回答

Q1. 最初にアンフォラで醸したのはカベルネソーヴィニヨンだったようですが、今はカベルネソーヴィニヨンではなく、トレッビアーノやサンジョヴェーゼのみをアンフォラで醸しているとお聞きしております。そこにはどのような考えがあったのでしょうか?(03:43~)

A1. 実はアンフォラが届いたタイミングが遅く、カベルネソーヴィニヨンだけはまだ未収穫だったので、最初の年はカベルネソーヴィニヨンのみアンフォラで造りました(笑)。なので、翌年以降はカベルネソーヴィニヨン以外をアンフォラで造りました。

Q2. 何故アンフォラを使うようになったのでしょうか?(07:18~)

A2. ワイン醸造からケミカルなものを排除する方向に舵を切るようになり、そうするとどのようにすれば実現できるか考えるようになります。まず1つ目に、ブドウ収穫のタイミング、2つ目に、発酵及び熟成させる道具、3つ目に、醸し発酵させる期間です。ワイン造りは、その土地を体現するものであり、人間が介入することで影響を及ぼさないニュートラルなものを造るための1つの選択としてアンフォラを選びました。

また、土から生まれたブドウを、土からできたアンフォラに戻すことも悪くないアイディアだと思いました。それから、ステンレスタンクやセメントだと形状的に角ができてしまいますが、アンフォラだとより曲線的といいますか、それはまるで液体を含む1つの丸い器でより自然に近い形状と言えます。もちろん角がないことで、液体の流れも滑らかでブドウのストレスも軽減できます。

Q3. 写真に写っているアンフォラの周りにある木枠はシルヴィオのアイディアなのでしょうか?(18:24~)

A3. アンフォラの形状が細長いため、倒れないように大工さんにお願いして作ってもらったものです。(かなりのお金をかけて作ったのに、かっこ悪いものが出来てしまったとボヤいていました(笑))

Q4. それぞれのキュヴェにベストマリアージュなトスカーナ料理を教えていただきたいです。(20:29~)
A4. イタリアでもよくこの話題についてお話したりします。ベストマッチと言われている組み合わせや、赤ワイン&お肉、白ワイン&お魚といった固定概念にとらわれないことが大切なんだと思います。

モンテセコンド(ワイン名)は、フレッシュでフルーティーかつ木樽の雰囲気もないので、魚料理にも合わせることもできると思います。ティン トレッビアーノは醸しているので、熟成させたチーズなんかと合わせても面白いかもしれません。

「このワインに合うのはこの料理」という回答はできませんが、本来であればレストランの方達が考えるべきことではないかと思います。

Q5. ワイン名にもあるTINはどういう意味でしょうか?(25:35~)

A5. スペイン語でアンフォラはティナファというのですが、TIN(ティン)はスペイン語の語源となるアラビア語から来ており土を意味します。

Q6. アメリカの大学へ進学して、そのままアメリカで働いていたとのことですが、お父さんの代からブドウ栽培やワイン醸造を行っていたとのことで、いずれはワイン醸造に携わるというビジョンは昔からありましたか?(27:13~)

A6. 僕の家族は代々農業に携わっていて、ひいおじいちゃんは1850年頃にシチリアからチュニジアに渡り、ブドウやオリーヴの栽培し、ワインはボトリングすることなく、桶売りをしていました。また、今の僕が住んでいるチェルバイアにも土地を持っていて、ブドウ栽培とブドウの卸しをしていました。

僕はフィレンツェの大学で経済学や経営学を学んだけれども、実は音楽をやりたいという夢があったのでボストンに行くことを決めます。その時、父は既に他界していたので僕がチェルバイアの土地を相続していて、当時は農場を継ぐ気はなく、買い取りたいという人がいたので売却することに。その前金を片手にボストンに行き、バークリー大学に通いながら、トスカーナ料理のレストランでウエイターとして働き、そこで色々なワインを飲むようになりました。その後は、ニューヨークに移りミュージシャンとしての活動を始めますが、音楽で食べていくのは大変だったこともあり、ワインのディストリビューターでも働きました。ディストリビューターでは、いわゆる「グラン ヴァン」と言われるワインを飲む機会にも恵まれ、そこからどんどんワインの面白さに引き込まれました。

先ほど農場は売却したとお伝えしましたが、実は売却までは至りませんでした。なので、チェルバイアの農場は僕がアメリカにいる間もずっと家族が守っていてくれました。

ある時、(イタリア最高のエノロゴの一人と言われている)ロベルト チプレッソとモンテセコンドのブドウで仕込んだ樽感強めのワインを飲む機会があり、もっとこんな風にできるんじゃないかな、など色々と話をしたのをきっかけに想いを巡らせるようになりトスカーナに帰ってワインを造ろうと決めました。

僕は最初から計画性をもって行動するタイプではなく、好奇心やその時に興味があるもの突き動かされて行動するタイプです。なので、もちろん思いもよらぬ落とし穴とかそういったものは沢山経験しているけど、その度にちゃんと原因を振り返ることもします。こういったもので僕の人生はできている気がします。

なので、質問の答えとしては、全く考えていなかったというのが答えです。引き継いだ当時のモンテセコンドの農場には、醸造設備もなかったですし、資金も十分にはなかったので、そもそもワインを造るということを考えれる状況ではありませんでした。

④まとめ

特に印象に残っているのは、アンフォラを使うと決めた時の「土から生まれたブドウを、土からできたアンフォラに戻すことも悪くないアイディアだと思う」とおっしゃっていたことで、彼のワイン造りにおけるフィロソフィーに少し触れられたように思いました。また、彼のワインに「ベストマリアージュなお料理を教えてください」という質問の回答も印象的で「固定概念にとらわれないことが大切」と仰っていて、はっとさせられました。当社がモンテセコンドとの取引を始めたのは最近ということもあり、まだ彼のことやワインを知らない方もいらっしゃるかと思いますが、今回のセミナーではそんな彼の人柄や、考え、ワイン造りを始めるまでのストーリーなどにも触れられたと思っています。
(担当:中林)

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