お次は、イタリアワイン界のMr.フルスイング、ラディコンです!!!!
今回は、スタンコ&スザーナ夫妻が来日です!!!3年前に日本中を席巻した(?)、”ジーヴィオ!!(スロヴェニア語で乾杯!の意)”旋風が再び巻き起こることに!!!
皆さん、ジーヴィオです。この言葉をちゃんとインプットして、オッティマーナの会場に来てください。スタンコのテンションが、あからさまに上がりますよ(笑)。
ヴォドピーヴェッツの記事のところでも書きましたが、ラディコン&ヴォドピーヴェッツのワインの、ここ数年での飲まれっぷりは、本当に尋常でないものがあります。
僕は、陰でこの現象の糸を引いているのは、竹鶴酒造の石川杜氏なんじゃないかと踏んでいます(笑)。
石川さんを招いてのお酒の会なのにも関わらず、ヴォドピーヴェッツ、ラディコン、ヴィナイオータの話しかしない時もあるという話をよく耳にします(石川さん、それでいいんですか??笑)。ですが、そうお話をしてくださる方の何人かは、
「最初は、ワイン??またぁ、石川さん、それは言い過ぎでしょ??くらいに思ったんだよ。自分自身、ちょっとワインを敬遠してたっていうのもあったんだけど、あそこまで熱苦しく語られたら、飲んでみたいと思うよね。ていうわけで、ラディコンて奴を買ってみて、飲んでみたら…なんつうか、竹鶴なんだよ!石川さんのお酒と同じ何かを感じたんだよ。そっからは、もうドはまりだよ。(笑)」とも言ってくださり…。
酒の種類を超えた共通性と、僕たちの“良い酒観”にある程度の普遍性があるってことなのかと。
ラディコンのフラッグシップ ワインであるリボッラ&オスラーヴィエの、ヴィナイオータ的現行ヴィンテージは04&05ですが、現地ではすでに07がリリースされています…。両ヴィンテージがリリースされた2010&2011年は、スタンコ&スザーナ夫妻が体調を大きく崩した年で、販売に注力できず、かなりの本数が売れ残ってしまいます。
にわかに信じがたい話なのですが、イタリアでは新ヴィンテージがリリースされると、前ヴィンテージには見向きもされなくなるそうです。数年前にラ ビアンカーラのアンジョリーノが、「近所の酒屋で、マシエリを置いてくれてるところが何軒かあるんだけど、新しいヴィンテージボトリングしたって言うと、店に置いている前のヴィンテージとボトリングしたばかりの新しいヴィンテージを交換してくれって言われるんだぜ…。ほんと参っちゃうよ。」という話をしていたほど、僕達からしたら不思議なまでに、こと白ワインに関しては物凄く顕著に、ワインの熟成&バックヴィンテージという考えが一般には浸透していないということなのかと。
そんなこんなで、大量に売れ残ってしまった04&05のラディコンの白、味わいももちろん素晴らしいですし、時間が経てば経つほど味が落ちるどころかどんどん開いてきていましたので、まとまった量を買うことを条件に少々安くしてもらい、その代わりに、どんなに時間がかかったとしても全量引き取ることを約束します。
そして、その間にリリースされる新ヴィンテージのワインも、ある程度まとまった量を必ず日本用に取っておくという確約ももらいます。
ヴィンテージの特徴も、非常に対照的でしたので、両ヴィンテージを同時に販売することにしたのが、2012年春のことで、3年弱の間に、この2ヴィンテージのワインだけで8000本ほど(750ml換算)売りましたぁ!!!!そして今、残りの在庫全てを引き取る手筈を整えているのですが、その総数5500本!!これも1年以内にはカタをつけたいと思いますので、皆さんご協力の程を!
このあと控えている06&07ヴィンテージですが、天候にも恵まれた年で、ワインも非常にエネルギッシュ、ボトリング当初は荒々しかった味わいも、徐々に焦点が合ってきているような気がします。04&05を大量に仕入れたことで、これらのヴィンテージを遅くリリースさせられることは、ワインにとって非常に良いことだったと確信しています!!
長期間の醸し醗酵による、ブドウから最大限の抽出を行うようになってから、タンニンを丸くするために樽での熟成期間も長くし、ボトリングしてからも香り味わいが花開くのを待つために、ビン熟成も長く取るようになり…こう書くと、
「あれ??樽という酸化的な環境の熟成容器に長く入れておいたのだから、味わいもボトリング直後から、より開いた状態なのでは?」と思う方もいらっしゃるかもしれません。でも、そうではないことを最近実感する機会が良くあります。
ヴィナイオータ取扱いではありませんが、最強のモンタルチーノの造り手パラディーゾ ディ マンフレーディは、ロッソ、ブルネッロ、ブルネッロ リゼルヴァの3種類のワインを造っているのですが、もともとは全く同一のワインで、違いはといえば樽での熟成期間の長短だけ…。もしも、樽で長く寝かせているワインの方が、味わいが早々に開くのだとしたら、同一ヴィンテージのロッソ、ブルネッロ、リゼルヴァを、リゼルヴァが市場に出たタイミングで同時に飲んだら、リゼルヴァが一番開いているという事になりますよね?これはこれで変な気がしませんか??
ラディコンはこう言います。
「樽で1年寝かせたワインは、ビンで1年寝かせれば味わいは概ね開いてくる。2年樽熟させたものは、ビンで2年、俺のワインように樽で3-4年寝かせているものなら、やはりビンでも3-4年は休ませたい。酸化的な環境に長く慣れ親しんでしまったワインは、ビンという還元的な容器に入れられると、極度のストレス状態になってしまって、そのストレスから解放されるのに、より時間がかかるんだ。」
南国の、なんくるないさぁ的気候風土の中に長らく身を置いた後、いきなり極寒の地域に引っ越したらどうなるか?こう書けば想像しやすいでしょうか(笑)。
2013年には、久々に白のリゼルヴァ、オスラーヴィエ F.D.T.2000(Fuori dal Tempo,フオーリ ダル テンポ)がリリースされました。1999年ヴィンテージまでは、辛うじて(笑)CollioDCGとしてリリースできていたのですが、その色調の濃さから2000年がDOCを名乗れず、以降IGTとしてリリースをすることになります。DOCでないと、長い熟成年数を指すリゼルヴァという言葉が使えないため、それに代わる言葉をスタンコはずっと考えていました。そんなとある日、彼の友達に飲ませた時、その友達が“Fuori dal Tempo!(時間の概念を超越してる!)”と口走り、その言葉が気に入ったスタンコ、そのままワインの名前とします。
私見ですが、ラディコンがこの世に送り込んだワインの中で、個性、テンション等々、規格外れな存在Best3を挙げるのなら、間違いなくメルロー90年、リボッラ リゼルヴァ イヴァーナ97年と、F.D.T.2000です!
圧倒的なヴォリューム、果実味があるにもかかわらずザクザク進む危険なワインなのですが、その値段がネックだったのかイタリア&日本以外の諸外国では全く売れず、結局日本に生産量の9割(!!!)近くにあたる量が届きまして、おかげさまで弊社的には完売しております!
日本でしっかりと飲まれていることは、非常に嬉しい&誇らしい気持ちになりますが、その反面、このワインの凄さを正当に評価して、ちゃんと買う事の出来ないイタリアのディストリビューター、諸外国のインポーターに関しては、同僚として寂しい気持ちでいっぱいになります…。
ラ ビアンカーラのアンジョリーノの長男フランチェスコは、彼なりの最大限の敬意を込めて僕の事を”泥棒”呼ばわりします(笑)。上等じゃないですか、今後も世界一の怪盗目指して精進するのみです!!
おかげさまで、息子サシャの発案で生まれたセカンドライン的白ワイン、スラトニック&ピノ グリージョの売れ行きも好調で、入荷と同時に完売する人気ぶりです。
1年前に、オーストラリアでの仕事の帰りに、奥さんルイーザと日本に寄ってくれた時、こんな話をしてくれました。
「親父(スタンコ)が、白ワイン全量に醸し醗酵を採用し始めた97年当時、自分の興味はバイクであったり、女の子(笑)であったり…。アルコール&乳酸発酵期間中はもちろんの事、完全にワインになり切ってからさらに醸すことによって皮から得られるものもあると感じるようになった今現在では、概ね3-4ヶ月の醸し期間という手法に落ち着いている。親父が醸し醗酵を始めた当時は1週間程度の期間に留まり、樽での熟成期間も短かった。親父が何をもって今現在の形に至ったのかを追体験するために、始めた当初のやり方を(自分の興味が別の事にあって、ちゃんと見てこなかったので)採用しているとも言えるし、極限まで抽出し、熟成レベルでも攻めたオスラーヴィエなどのワインへの導入部のような、果実味もあり、醸し醗酵由来の複雑さも持ち合わせている、難しくないワインがあっても良いのでは?という考えもあって生まれたワイン。本当なら、自分がワイナリーに参画するようになった06年から造るはずだったんだけど、親父を説得するのに、実に3年かかってしまった。(笑)」
色調的にも最も過激な部類に入るラディコンの白ワインは、頭(目も含む)で飲む人よりも、身体全体の感性や感覚を駆使して(その結果、逆説的ではありますが、目の前のワインに構えることなく、)飲む人の琴線に触れることが多いような気がしますが、本来ワインはそうやって飲むべきものですよね??
僕からしてみると、ラディコンを好き!!って言ってくださる方だと、(共感してもらうことを前提に、)僕の全ての手札を見せやすくなる、という意味でも非常に大切な造り手です。
皆さん、ジーヴィオ!!!!ですよ!!!!!
仲良しスタンコ&スザーナ
リボッラ!!!
ヴァルテルも試飲に参加!
本気で卓球なスタンコとダーリオ プリンチッチ、僕とサノヨーコの下手さぶりに、「あれ、ピンポンてお前らの国技じゃなかったっけ?」などといわれる始末
8年前の写真、みんな若っ!、愛すべきフリウリ軍団!