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2009-03-19

2008/10/31、11/1 イタリア旅行記

10/31、朝5時ごろ起きて、5時半前にはバローロを出発。約2時間でミラノ・リナーテ空港に到着、レンタカーを返して、荷物の一部を空港で預けて、9時の飛行機で一路サルデーニャへ。日程が結構タイトだったので、本当はサルデーニャには行かないつもりだったのですが、アンジョリーノが弁護士の友達と一緒にパーネヴィーノのジャンフランコを訪ねるというので、そのタイミングで行かない手はないと考え、僕も行くことに。1日前に着いていたアンジョリーノ達が畑を見せてもらっている時にヌーリ(パーネヴィーノのある町)に到着、お昼をみんなでジャンフランコの家でいただく。奥さんのエレナは本っ当に料理が上手。さりげない料理なんだけど滋味深くて、いつも感銘を受ける。食べながら飲むのはもちろんジャンフランコのワイン。Piccade2007から始まって、Ogu(2007年のカンノナウ主体のワインの名前です。5月に入ってきます、美味しいですよ!!)にAlvasという名前の白ワイン。食べ物が美味しいのでザクザク飲む。

ここでちょっとした議論になったのが、ジャンフランコがカンノナウ主体のワインの名前を毎年変えてリリースしているのは消費者のことを考えたら如何なものかというもので、10年も経ったらどのワインがどのヴィンテージか分からなくなるという。僕はジャンフランコの肩を持つつもりもなかったのだが、僕的にはジャンフランコがそうしたチョイスをしていること自体に意味があると考えているので、いくつか反論をした。

恐らく僕は10ヴィンテージだろうが20ヴィンテージだろうが、とある名前のワインが何年のものなのか覚えていられると思う。が、それはおいておいたとして、そもそも”ワインの名前とヴィンテージを覚えていること”にどのような意味があるのだろう?ワインにとって大事なのはどういった味わいなのかであって、ヴィンテージなどという数字には何の意味もない。さらにその場所、その造り手の、そのワインの、とあるヴィンテージの特徴も記憶しなければ、ワインの名前とヴィンテージが情報として分かったところで何の意味もないのでは?サッサイアの2007といったらそれが指すものはただ単にサッサイアの2007という視覚情報でしかなく、それに付随して、ワインの味わい、他のヴィンテージとの差異、年の特徴まで情報(記憶)として伴って初めて意味を持つ。
に対して、ジャンフランコのワインは毎年名前が変わるが、名前そのものに各ヴィンテージにこめられたジャンフランコの思いが詰まっている。ヴィンテージが何年のものなのかは思い出せなかったとしても、名前の由来さえ分かれば、どんな年のどんなワインなのかある程度思い出せるようになっている。マリポーザ-蝶-女性-普段はマッチョなカンノナウ-その年のブドウからは女性的な強さみたいなものを内包したワインを表現できるのでは?といった感じで、ヴィンテージなどという数字以上に大切な情報が抽出できる。

弁護士の1人がこうも言った。セラーに何年か放置して、とある日ジャンフランコのワインを開けようとしたけど、何年か分からなかったら問題じゃないか?と。気持ちは分かるが、それの何が問題なのだろう?極端な話、ワインは美味しければよいのだから。そこまでヴィンテージを知りたいのなら、買った段階でボトルに書いておけばいいだけの話。もちろんこれはジャンフランコみたいなことをする造り手が他にいない(フランクのワインも分かりづらいが彼のワインの場合、一応ラベルを見ればヴィンテージは分かるようになっている)という事情もある。20の造り手が毎年名前を変えてリリースさせたらそれは混乱の極みだろうが、幸いジャンフランコしかそんなけったいなことをしない。そして数千本しか生産されていないこのワインを取っておくという奇特なことをする人がこの世に何人いるだろう?恐らく100人といないのでは?きっとその奇特な100人はきっとジャンフランコのワインを愛してくれているのだと思う。その人たちは、ワイン名とヴィンテージをリンクさせていないまでも、ワイン名と味わいのリンクはさせて記憶してくれていると思う。それがあれば十分なのでは?

ジャンフランコは、自分のことをアーティストと言い、ワインは彼にとっての”絵”だと言う。絵を描くための絵の具を得るために仕方なくブドウ栽培をしているのだそう。ヴィンテージを観察し、ブドウを味わい、その年のブドウから、自分なりのその年を特徴を投影させた”絵(ワイン)”をイメージしながら醸造方法を毎年微調整する、それが彼のとってのワイン造り。そういう人が1人くらいいても世の中全く問題ないと思いませんか?とある製品を造る上で、技術や知識、先人から受け継いだ知恵などを駆使した職人的なアプローチと、具現化したいイメージに技術・技法を組み合わせていくアーティスト的なアプローチがあると思うのですが、行き着く先は同じものだったりすることってあると思うんです。多様性こそ僕達が残すべき最も大切なものなんじゃないでしょうか。

この日の夜は、エレナ(ジャンフランコの奥さん)が出産間近だったこともあり、ジャンフランコの知り合いのアグリトゥリズモに行く。そこで今の僕の料理生活(変な言葉ですね)に多大なる影響を与えてしまうものに出会う。

薪で彼らが飼う、馬と豚の肉を焼いてくれたのだが、薪に対して垂直に置き、火を横から当てるようにしている。こうする事で、垂れた肉の脂に引火して肉に嫌な焦げた匂いが付くのを防ぐことができる。うちの薪ストーブでもこの手法は、特に脂の乗った大きな肉を焼くときに活用されています。

11/1はアンジョリーノと弁護士達とドライブ。アルゲーロで見た不思議なもの。

窓かと思いきや壁。

夜はジャンフランコの家で食事。前の日の議論がまた続く・・・。僕も嫌いでないが向こうの人は本当に議論好きだなぁ。

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