ヴィナイオッティマーナ2024【造り手セミナー】メゾン モーリス クレタ
①造り手紹介 (00:00~)
セミナー中にwi-fiが繋がらずスライドを表示出来ずご来場の方にはご迷惑をおかけ致しました。こちらでスライド付きで紹介致します。
メゾンモーリスクレタの当主、元建築家のアンドレアモーリスさん(60)。
(セミナー中に、元というよりも現在も建築家ということが判明しました)
スイスとフランスに接する4000m級の山々が連なるアルプスの麓の切り立った谷の中にあるヴァッレ ダオスタ州からきてくれました。イタリアの州の中で最も面積の小さい州で、隣のピエモンテ州の約8分の1ほどの面積です。
ヴァッレダオスタ州は、周りを高い山々に囲まれているので、平地が少なく、耕作適地が限られています。十分な日照を得るためには傾斜地に畑を作るしかなく、機械を使うことができず全てが手作業となってしまうため、耕作放棄が後を絶ちません。アンドレアは地域の伝統が失われつつある状況に憂いを抱き、美しいアオスタ渓谷の畑と土着品種の保護と維持に、人生を賭ける決意をしました。
祖父から受け継いだ、ケザレにあるバンクという区画で収穫したブドウを2010年まで協同組合に売却していましたが、翌年から試験醸造を始め、2015年から正式にワイナリーをはじめました。
ブドウ栽培という伝統と文化を守ってくれていた先人に敬意を表すべく、祖父などの名前がワイン名となっており、それぞれの人物や土地に因んだシンボルマークが描かれています。
SANのシンボルマークの意味は不明だったので、聞いてみたところ、葡萄の木を逆さまにしたものをイメージしたもので、根の部分だそうです。地表に現れているもの、目に見えているものだけにとらわれてはいけないということを意味しているとのことでした。
現在は4つの区画、合わせて約2haで年間約5000本を生産しています。エチケットのワイン名の上に記載されているのが区画名になります。
州を横断するドーラバルテア川の流れに沿って、東に行くほど標高が下がり、葡萄はそれぞれの土地を象徴する品種が植えられています。
州都アオスタ周辺で栽培されているマイオレは、ヴァッレダオスタ全体で7haしか栽培されていないスーパー土着品種とのことでしたが、
セミナーの前日に再度尋ねたら現在はもう2haしか栽培されていないらしく、その内10%が彼の葡萄畑とのことでした。
ヴィフのモルジェから ボスのポン サン マルタンまで、ヴァッレ ダオスタを東西(80km!)にカバーしています。ヴィナイオッティマーナ会場のつくばから川崎ぐらいの距離になります。
これほど離れたエリアに畑を所有する造り手は、とても珍しく、地域ごとの特徴をワインで表現しようとするアンドレアのヴァッレダオスタ愛と伝統を残すための覚悟や気合が十分に伝わってくるのではないでしょうか。
②造り手への質問と回答
Q1.離れた畑を管理していますが、いったいどこに住んでいるのでしょうか?(3:40~)
A1. 私はバッレダオスタ州の州都アオスタの生まれ育ちになります。アオスタはバッレダオスタ州のほぼ真ん中にある街なのですが、ローマ時代からスイスやフランスへ行くための交通の要所で宿場町、関所のような交易の場所とした栄えた町です。そこで生まれ育っているので、アオスタに家があります。アオスタ周辺の最初にぶどう畑を持った区画バンクがあります。バンクで畑仕事をする際は、ここで寝泊まりをします。一緒にヴィナイオッティマーナ2024に参加しているピエモンテ州のモンテマレットがあるカレーマとの州境にある町ポン サン マルタンは、私の妻のマヌエラの出身地で、妻や子供たち家族と普段一緒に過ごしているのは、ポンサンマルタンの家になります。ポンサンマルタンでは、モノという区画で葡萄を栽培しています。モノ以外での区画で仕事する場合に家族と離れてアオスタで過ごしています。
私はバイクで気晴らしに風を切ってツーリングをするのが好きなので、アオスタとポンサンマルタンを行き来しなくてはいけないという状況が全く苦になりません。
Q2. 元建築家とのことですが、ワイン造りに活かされている点、影響を及ぼしている点はありますか?(9:00~)
A1. 元建築家ではなく、現在も建築家と言えると思います。自分は、ただ単に建物をデザインするというよりは、環境や景観なども加味したランドスケープデザインを専門にした仕事をしてきました。そこで培われたビジョンは、ワイン造りに役に立っていると思います。家を建てるにしても自然素材を使って家づくりを大事にしてますし、建築という人工物が、自然の中に溶け込むこと、共生しているかのような建物の在り方をテーマにしてきたということもあるので、葡萄栽培をする際にナチュラルな栽培方法方法を選択するのは、とても自然なことでした。ですので葡萄畑の中でやりたいことは、本当に手入れの行き届いたありとあらゆる動植物が仲良くできるような畑を実現することです。畑の周りには、ある程度の野生、自然を残すことも重要視しています。実は今、畑に隣接する場所にワイナリーを建てる計画もあります。現在は友達のワイナリーを間借りしてワインを造っているのですが、ゆくゆくはまるで自然の中に溶け込んでるようなワイナリーを建てることを考えています。こうした考えは、間違いなく建築家として培ってきたものが、影響していると思います。
畑の近くにワイナリーつくる、あるいはそういった状況を整えるということは、自分の子供が志を継ぐ場が出来るということでもあり、自分が今行っているワイン造りや環境の維持や保護が、簡単には潰えない未来に繋がるプロジェクトになるのではないかということも期待しています。
Q3. VIFを造っているモルジェにある区画クリウは畑を借りていないと最近伺ったのですが。(16:50~)
A1. モルジェに借りていたクリウの畑は賃貸借契約が切れてしまいもうワインを造っていないです。モルジェはヨーロッパでも最も標高が高いところ1000mから1100mで葡萄栽培が行われているとよく言われているところになります。それから少し下ったアオスタ周辺のバンクという区画が標高700m、さらに川の流れに沿って東のポンサンマルタンで標高400m。元々は、1000m、700m、400mとヴァッレダオスタの中で標高差のバリエーションがある状態で葡萄栽培を行っていました。ただ全ての作業を手作業で、しかも独りで行っているため、自分の仕事量を考えると1.5ha以上の面積でをやるのは現実的ではありません。将来的には、バンクとモノの2か所の畑で自分の精力を集中していくことになると思います。それに対して、州都アオスタにある区画ビビアンは友人からお願いされて手入れをしている本当に小さな葡萄畑(600平米)になります。ここはアオスタ周辺に現存する葡萄畑の中で最もアオスタの街から近い畑で、樹齢100年を超える様々な葡萄が混ぜこぜに植わっていて、ものによっては品種も特定出来ていない葡萄もあり、歴史的価値が高い区画だと考えています。ここの葡萄の木が元気な間は、出来るだけ長くワインを生産出来るようにしたいと思います。
イタリアでも最北部ですし凄い高いアルプスに囲まれているということで、冷涼な気候だと想像されるかもしれませんが、自分が所有している畑の場所は地中海性気候と似通う部分もあったりします。シチリアから来ているイルチェンソのガエターノに話して彼がびっくりしていたのですが、自分の畑の葡萄が植わってないところでは、サボテンが張り付いていたりします。本来、南の暖かいところに生えてくる植物のはずなのに自生していたりする、北イタリアであるけれどもきちんと日照、暑さがある場所になります。昔の人がそこに葡萄を植えたのは適地を選んで植えたのだということだと思います。厳しい環境ですし場所を選ばなければ、恩恵には預からなかったはずで、先人が何年も何百年もかけて適地を見つけてきた場所というのはそれなりの意味があると思います。
③まとめ
ワイン造りは人生を大きく変えた出来事で、ワイン造りとそこから生まれるワインは、自分の人生、生き方を示す、指針、道調べであり、自分自身を伝えるものだと言っていました。
セミナーまでの数日間、一緒に過ごして感じたのは、自分の生き方に誠実な人ということでした。
人間と葡萄を育てることは同じことと言っていたのですが、そんな彼のワインを彼の近くで味わったことで何かを感じてもらえたら凄く素敵なことだ思います。
アンドレアに聞いた東京観光で見たいものは?のひとつ、現代建築の父と言われるイタリアの建築家レンゾ・ピアノが設計を手掛けたエルメス銀座店の前で。
【新入荷】2024年8月その2(Camillo Donati,Maison Maurice Cretaz,Monte Maletto) 【2024義捐ワインプロジェクト 第二弾】 【新入荷】2023年8月その1(Maison Maurice Cretaz,Ezio Cerruti,A Maccia,Alberto Anguissola(Case),De Bartoli) 【新入荷】2022年6月その1(Davide Spillare,Maison Maurice Cretaz,Le Boncie,De Fermo,Nicolini,La Calabretta,Stefano Legnani,Stefano Berti,Cantina Giardino,De Bartoli,La Visciola) 造り手紹介 Maison Maurice Cretaz / メゾン モーリス クレタ