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2011-06-08

MV史の意味

マッサ ヴェッキアのHPに少しだけMV史について書いてあったので概略だけでも載せますね。

マッサヴェッキアは、父アルベルトが1972年にクエルチョーラに植えたサンジョヴェーゼとトレッビアーノを受け継ぐ形で、1985年にファブリーツィオ ニコライーニが始めた農場で、85年にアリカンテ、アレアーティコ、カベルネを接木、1992年と96年にベルッツォを開墾、植樹を行う。

 当初はブドウそれぞれの性質を見極めるべく、単一品種での醸造・ボトリングを行っていたが、徐々に現在のようなスタイルに移行する。

 80年代のブドウ栽培はありとあらゆる化学物質と共に行われていて、有機栽培のブドウによるワインなど理解されるものでない、もしくは欠陥のあるものだと認識されていた。しかし、マッサヴェッキアの根幹をなすコンセプトには、母なる大地への愛、そしてそれに付随して、(自然に)危害を加えるようなあらゆるものを拒否するというものがあり、妻パトリーツィア バルトリーニと共に歩み始めたことでその思いはさらに強いものとなった。
 2人とも当初から、農業だけで生活を立てることを目標にしていたのだが、ナチュラルなワインを造り、販売するというのがそれを可能にする唯一の道だと考えていた。

 実際の経験に基づいた、ごく私的な知識・見識を持つことは、個性的で(マッサヴェッキアのワインであると)識別しえるだけの痕跡をワインに残すためには重要だと考える。それは決して終わりのない、自らの畑と密接に関わった経験のみがもたらす、探求の旅とも言える。

 同様の探究心、情熱は、数年前から2人のもとで働く娘、フランチェスカにも受け継がれた。ワインの世界とは程遠い事を学んできたが、母なる大地、そしてそれに触れながら生活するということに魅せられるのにはそれほど時間がかからなかったし、(探究心、情熱は)彼女自身のライフスタイルにも如実に現れている。

訳が上手じゃなくてすみません・・・。

代替わりをすると聞いたとき、僕はファブリーツィオがもう少し頻繁に山から下りてきて、フランチェスカに細々指示を出すものだと考えていたのですが、そうではなく、生活の9割以上を山での生活に捧げているのをみて、そしてそれが原因ではなかったとファブリーツィオは最終的に結論付けていたとはいえ、“2009年ロザート揮発酸高くなる事件”の話を聞いた時、正直マッサ ヴェッキアの今後の行く末がとても心配になったのですが、それを払拭するこんなエピソードがありました。
2010年の春のイタリア旅行の際に、僕はVinoVinoVino(MVも属すグルッポ ヴィーニ ヴェーリが主催するサロンの名前)で、彼らのところに訪問する日時を伝えておいたのですが、フランチェスカは僕が確認の電話をするものと思っていて(逆に僕自身はアポをフィックスできたと思っていました)、彼らにとっては僕の訪問が突然のものとなってしまいました。彼女自身、他の誰にも(つまりファブリーツィオにも)僕が来ることを伝えていなかったらしく、山から下りてこれるかどうか分からないと言う・・・。ファブリーツィオに会えないかもという寂しさと共に、想像していた以上に彼らの間で連絡を取り合っていないという事実にちょっと不安になり始める僕。結局山から下りてきてくれて、いろいろ話をしながらワインを飲んでいたら、いい時間になっちゃいました。
さて久人を今晩どうやってもてなすかと相談する2人。
結局、泊まるのはファブリーツィオ宅、食事は一家全員+僕がフランチェスカの家(若いですがもう結婚しています)でご馳走になることに。
その日の夜の食事は一生忘れないと思います。
まず最初に、彼ら自身で育てて、自ら屠畜した豚で作ったプロシュット クルード
そして、夏の野菜が沢山取れる時期に仕込んだありとあらゆる野菜のオイル漬、酢漬け
自分達が飼う鶏の卵と野生のハーブのフリッタータ
前述の豚のグアンチャーレとこれまた夏に大量に仕込んだトマトソースでアマトリチャーナ、オイルも自家製

つまり、ファブリーツィオ&パトリーツィアと同じようなライフスタイルをその時30歳と26歳の夫婦が実践していたのです!!

その晩の食事風景。MVのワインと、レ・コステのリトロッツォ、シュレールのワインにロレンツォ コリーノ博士のワイン(ピエモンテでバロリストM.M.女史、G.R.氏に飲ませたら、比較的否定的な発言が出たので、ファブリーツィオにも飲んでもらおうと思ったんです。反応はと言えば・・・絶賛いただきました!)

 親がワイナリーをやっていたから何も考えずにそれを継いだのではなく、農業、ワイン造りを含めた親達のライフスタイル(覚悟)に共感を覚え、彼女自身も実践したいと考え、その中にワイナリー、つまりはファブリーツィオとパトリーツィアの仕事を引き継ぐということも含まれてたような感じとでも言えばいいのでしょうか・・・。
 
 表面的なものではない、決意、覚悟、気合とかいう精神面、イズムとでも呼ぶべきものがしっかり引き継がれたんだと、この晩に確信したんです。
 醸造学校や農学校を出て、ワイナリーを引き継ぐことを前提にして人生を送ってきた子供たちより、ワイナリーに関わり始めたのも遅いし、専門的な知識に欠けるという面があるかもしれません。だけどそれは本人の努力やアンテナを高く張り巡らすことによって、それも彼女の場合は農業においても醸造においても偉大すぎる男が近くにいるわけで、つけられている差をあっさりと詰めることさえできるかもしれません。
 
 常々思っているし、事あるごとに言っていますが、技術が人を感心させる事はあっても、心を動かすことはできない。精神こそが人の心に働きかけ、偉大なる精神に卓越した技術が伴った場合に、感動が待っているのではないでしょうか?

 マッサヴェッキアのワインの歴史とは、彼らのおかれている状況下でとった、その瞬間にベストだと考えたことを実践した事の結晶で、それはまさしく僕が”自由なワイン宣言”の中で書いたことと重なります。
 つまり、彼らが置かれることになった様々な不自由こそが、より自由であるために彼らにその瞬間何ができるのかを考える原動力となったわけです。
 あれだけ素晴らしいワインを造りますから、妥協のない造り手で、常にワインのクオリティに念頭を置いて仕事をしていると思われているのかもしれませんが、そうではないんです。
 むしろもっと泥臭く、人間的に生きていて、私生活がワイン造りに多大な影響を与えているんです。

 ワインのことしか近代史には書きませんでしたが、MV史にはこんな話もあるんです。
 昔はワイナリーのそばに生簀を持っていて、鱒を飼ってそれを販売していたが、とある日、保冷車を持たないと納品(つまり販売)してはいけなくなったので鱒の養殖をやめた。
 ポレンタの粉も商品として作っていて、オーガニックショップみたいな所に納品していたが、全然売れないのでやめた。
 オリーブオイルも作っていたが、とある年、オイルをボトリングする場所はワインを醸造、熟成させる場所とは空間的に隔絶されてなくてはならない(つまりオイルをボトリングするための専用の部屋が必要)という法律ができたのでボトリングをやめた(その法律は再び変わったと思われ、今は再びボトリングしてます)。
 こういった彼らの身に降りかかったネガティブなエピソードが、彼らのMV史の中に書かれてあるように、大量生産型ではなく彼らが望むような農業を実践しつつ、その労働に対しる正当な対価をもたらすものは(非常に残念だけど)、ワインだけだった・・・という件に関連していたりします。
 彼らも自分達のワインが、その価値があるものだと確信しつつも、決して安いものではないとは認識しています。なだけに、ワインには彼らの思いや魂が込められているべきと考え、固定のレシピを持たずに常に考える・・・。

 2007年、2008年の家の完成以降に始まる山奥での自給自足的生活を考えた時、まだ継ぐかどうかを迷っていたフランチェスカを期待するわけにもいかず、ワイナリーと自給自足、どちらにも手が回るようにするためには生産量を減らすしかない、だとしたら土着品種でないものを醸造しないのが筋だと考え、メルローとカベルネを売ることにした。
 なら何を使ってロザートを造るか?
 マルヴァジーア ネーラとアレアーティコがアロマティックだしいい感じになるのでは?と考える。
 じゃあアレアーティコでパッシートは造れないね、となり・・・。
 結果2009年にはフランチェスカは継ぐことになり、2007年にちょっと無理してメルローとカベルネでも何かを仕込んでいれば、2008年の悲惨な収穫量の埋め合わせにもなったろうし、MVファンも飲めるワインが増えていた・・・。

 2005、2006のような見た目も味わいもほとんど赤な、尊大な味わい(だけど恐ろしく飲み進む)のロザートにあまりにも惚れ込みすぎて、初めて2007を樽から飲ませてもらった時、あまりにもキャッチーに思えて正直がっかりしたこと、それをファブリーツィオに匂わせてしまったことをたった今思い出しました!今なら彼の置かれていた状況が良く分かるので・・・悪いことしちゃいました(反省)。
 で、そのロザート2007年ですが、あまりにも官能的なアロマで、それに耽溺してるうちに1本空になってしまうようなワインなのですが、ちゃんと突き詰めて飲んでみると中身も深い(MVのワインなんだし当たり前だろ!と突込みが飛んできそうですが)。
 見た目があまりにも良すぎてそっちに目が行っちゃうけど、人間としても素晴らしい女性・・・みたいな感じでしょうか。

 マルヴァジーアを入れたアリエント2002を飲んだ時も、もったいないなぁ、ヴェルメンティーノ単一の方が良いなぁ・・・と思ってたわけですが、結果はファブリーツィオの言うとおり、リリース当初はマルヴァジーアのアロマが飲み心地を演出しそういうワインとして楽しめるし、熟成と共にヴェルメンティーノの凄味が顔を出しまた別のワインとして楽しめる、一粒で二度美味しいワインとでしたし・・・。
 2002年は雨がちな年ということもあり、マルヴァジーアのアロマがより強調されてしまい、そう思ってしまったのだと今なら分析できるのですが・・・まだまだ青いですが、あの当時はもっと青かった僕なのでした。

 結局何が言いたいのか良く分からなくなっちゃいましたが、MVのワインの味は彼らの人生の味、というようなことが言いたかったような・・・。
 その瞬間瞬間の人生をここまでワインに封じ込めることに成功している造り手といえば、イタリアではMVとPanevinoくらいしか思いつかないです。

 ワインは嗜好品と言われているわけだから好き嫌いがあって当然だし、ヴィンテージチャートがあるくらいだから、ヴィンテージがワインの品質の良し悪しに大きく反映してるって、本当にそうなのか検証もせずに信じていたりしないですか? 
 どのワインも毎ヴィンテージともそれぞれに個性的に美味しい上に、毎年毎年何かしらやらかしてくれちゃっている面白さ・・・現状でも熱狂的なMVファンは沢山いる(ありがとうございます!)のですが、そんな方達にももっともっとその面白さを自身で体感していただきたいですし、その素晴らしさをまだ体験したことない人にもトライする機会をより提供したい・・・どう控え目に言ったとしても、MVはそれに値するワインを造っていると思っています。
 仕入れる本数を今の3分の1にしたとしたら、きっと瞬間的に無くなっちゃうんだと思いますが、それでは僕が願う、偉大な造り手をより多くの人に伝えるという機会を逸してしまうことになる。そしてさらに、市場で彼らのワインは希少性みたいなもので評価されることになるかもしれない・・・。
 中身の素晴らしさだけで皆さんに評価してもらいたい、そして僕が僕のワイン観を彼らのワインで変えさせられたような経験をより多くの人に今後してもらいたい・・・そんなことを考えた時、彼らが分けてくれる最大限の本数(ものにもよりますが、生産量の3割程度でしょうか)をとりあえず買っちゃうようになりました。
 こんなオチに着地したかったんじゃなかったような気がしますが、だんだん良く分からなくなってきちゃったので、とりあえずこれでアップしますが、大幅に手直しするかもしれません・・・。

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